憎んでも恋しくて……あなたと二度目の恋に落ちました
彼は無言だった。
由美も『はじめまして』の挨拶以外、なにも直哉に言わなかった。
「じゃあ私、帰ります」
克実に向かって一礼すると、由美はさっさと直哉の横を通って副院長室から出ようとした。
「なんだ。もう帰るのか?」
「お疲れさまでした」
克実は引き留めようと声をかけてくれたのだが、由美はあっさりと副院長室を出ていった。
「素っ気ない妹ですまない」
兄の声が聞こえたが、ドアを閉めると同時に由美は駆け出した。
まさか直哉が追ってはこないと思うが、急いで十階から去りたかったのだ。
院内のエレベーターは患者向けで、運行がかなりゆっくりなので迷わず階段を走り降りた。
息が切れても構わない。
一階に着くと足が少し引きつったが、職員の通用口へ早足で急ぐ。
守衛に会釈をしてからドアを飛び出してもまだ走りたいくらいだった。
でも、もう足が言うことをきかないのでゆっくり歩きだす。
(油断してた)
ERで見かけてからは診療科も違うし勤務形態も違うから安心していた。
まさか兄の部屋でばったり鉢合わせするとは思ってもいなかった。
(彼とは初対面だって、誤魔化せたかな)
義兄は鋭い人だ。
直哉の様子がいつもと違っていたら、なにか気がつくかもしれない。
(……あの人は義姉の結婚相手なんだから、もう関係ないわ)
病院から少し離れたので、やっと由美は立ち止まった。
息を整えながら、こぼれそうな涙をぐっとこらえた。