契約違反ですが、旦那様?
樹莉は再び雑誌を捲りながら今度は今進めているクリスマスのPRについて考え始めた。秋冬は乾燥しやすくなるので、ファンデーションや化粧水もしっとりするものを発売する。それをどうやって広告で表すか、モデルは誰を起用するか、この辺りは代理店とも入念に打ち合わせが必要だった。過去の起用モデルを思い出しながら、彼女たちの予算と樹莉たちが出せる予算をすり合わせる。雑誌とノートを広げてスマートフォンで調べていると、手元が影理、柔らかなテノールボイスが落ちてきた。
「あなたは、…テーブルにはつかない、人?ん?客ですか?」
男性は樹莉がキャストの一人だと思い近づいたが、雑誌を広げたりノートを広げたりしていることに気づいたせいで混乱していた。女性一人でこういうお店に来る方が珍しいからだろう。
「二階堂さん、どうかされました?」
そこへ美奈子がやってきた。時々樹莉をキャストと間違えて席に付かせようとする客がいるので助けにきてくれたようだ。
「あ、彼女は…客ですか?」
二階堂と呼ばれた男性は美奈子にも同じ質問をした。美奈子は樹莉を見て「そうですよ」と鈴を転がしたように笑い「よく勘違いされるんです」と説明した。
「友人なんです」
「あ、そうなんですか。てっきり席についてくれる人かと」
「あら。二階堂さんは彼女がお好みで?」
美奈子はうふふと笑いながら「皆さんお待ちですよ」と二階堂を元の席に戻るように促した。
樹莉はこちらを振り返りにパチっとウインクする美奈子に苦笑すると、再び頭の中を仕事に戻した。
「あの、厚かましいお願いで恐縮なんですが」
だが30分も経たずに再び二階堂がやってきた。「お願いします」と平身低頭である。
「ここに避難させてもらえないですか。あーゆのが苦手で」
彼はチラッと後ろを振り返り、元の座席を見て苦笑した。立川たちが非常に盛り上がっている。きっとそのノリについていけず居づらくなったのだろう。だが一人で飲んでいると席に連れ戻されるのは見えている。トイレだと席を外すにも時間は稼げない。
「指名料高いですよ」
樹莉が冗談を言いながら二階堂を受け入れた。二階堂はホッと安堵した表情を浮かべる。
「いくらでも払います」
「嘘ですよ。つまらないですが」
「すみません。ひとりでゆっくりしているときに」
どうやら常識はあるらしい。二階堂は申し訳なさそうにしながらも樹莉の座る席からひとつ空けて腰を降ろした。