契約違反ですが、旦那様?
「…偶然、どこかで?」
「えぇ」
はじめこそ「次会ったら運命なのかも」なんて勘違いを抱いても、大抵数日もせぬ間に樹莉のことは忘れる。連絡先の交換なんて一時的なテンションでやるものだ。交換して食事の予定を立ててもリスケをすればそのまま流れることが多い。それに次どこかで会っても樹莉はスルーできる自信がある。どちらにせよ樹莉は連絡先を交換しても袖にする自信があった。
(だいたい男の人ってあまり人の顔なんて覚えないもの)
酒を飲めば特にだ。二階堂はしこたま飲まされたと言っていた。
彼の記憶力は知らないが、今夜久しぶりの日本でゆっくりと休めば今夜のことなどすぐに記憶の片隅に追いやられるだろう。
「うん。わかった。それはそれで面白そうだ」
二階堂はあっさりと引き下がった。そしてきっと樹莉の意志を正確に読み取ってくれたはず。帰り際目が合ったけどニコリと笑ってスルーした。
そういうものだ。だって同じ大学で先輩だとしても全く関わりもなければ世話になったことすらない。今日たまたまこの場で会っただけだ。
キャストの女の子たちは「また来てくださいね〜」なんて手を振って笑顔を振りまいていたけど。
「よかったの?なんか盛り上がってたけど」
閉店の手伝いをして樹莉も帰路に着こうと鞄を持った。振り返れば美奈子がたばこを片手に首を傾げている。
「すごくイケメンだったし」
「…そうね。顔は整ってたわ」
「六菱の人間よ?」
「私は輝世堂だけど?」
「誰でもいいから付き合ってみなさいよ」
「すぐそうやって誰かとくっつけようとする」
樹莉は小さく溜息をつく。だけど美奈子はコロコロと笑った。
「彼、店に来るんじゃない?」
「…しばらく来ないでおくわ」
「えー。どうしてよ」
「普通に仕事が忙しいし。あとはまあ、…面倒くさい、かな」
樹莉は肩をすくめると「じゃあね」と扉を開ける。
美奈子は颯爽と歩く樹莉の後ろ姿を見てたばこの煙を吐き出すのだった。