契約違反ですが、旦那様?
しかし、それとこれとは別問題だ。何より根本的な問題が解決していない。
つまり、この問題が解決しないと樹莉と二階堂がWin-Winだというには難しかった。樹莉はようやく自分が言いたいことを躊躇いがちに指摘する。
「…理由はわかったわ。でも普通に考えて無理じゃない?」
「何が?」
「物理的に子どもを作ることが」
ひとつのプロジェクトはだいたい2年から3年。つまり、次に二階堂がひと段落して日本に帰ってくるのは樹莉が35歳を過ぎていることは確定している。今は40歳を過ぎても初産の人も増えているが、やはりリスクを考えれば避けたい。でも現実的に考えて、排卵日を狙って行為をするのは無理だ。お互い近くにいなければ、肌を重ねることができなければ、いくら子どもが欲しくてもそれは不可能に近いことだった。
「今は医学も発達しているし、俺の状況を考えるとそちらに頼る方が子どもができる可能性はあるだろう」
二階堂から飛び出したまさかの提案に樹莉は目を丸くする。すぐにスマートフォンを手に取ると検索画面で「人工授精」と入力した。費用や診察スケジュールなど、各クリニックには情報が掲載されている。サーっとスマホの画面をスクロールしていると会社からほど近い不妊治療専門のレディースクリニックを見つけた。だけどここで樹莉はふと立ち止まる。
このまま男を知らないまま、身体に機械を入れて子作りをするのか。
それはあまりにも寂しいのではないか。
せっかく女に生まれたのに、そういう行為を知らずに死ぬのか。
痛くても知らないよりはマシかもしれない。
知っててやらないより「知らない」ことの方が怖いこともある。
樹莉はどうしよう、と悩む。 二階堂は「身持ちが固そう」という期待から樹莉に声をかけた。ここで「セックスしませんか」なんて言ったらその期待を裏切ることになる。彼からの信用を失うような発言はしたくない。ただ、男を知らないまま死ぬのはできれば避けたいなど不覚にも思ってしまった。