契約違反ですが、旦那様?
「樹莉」
ついさっきまで「松木さん」と呼んでいた二階堂が親しげに樹莉を名前で呼んだ。そのことに驚きながらもこれからすることを考えるとさすがに苗字で呼ぶのはなんだかおかしい、と経験のない樹莉でも気づいた。
「怖かったらやめていいから」
二階堂は躊躇いがちに樹莉を後ろから抱きしめる。その腕の樹莉の手がかかった。
「怖いというか緊張はするわね。誰かに裸を見せたことなんてないもの。こんなことになるとは思ってないから何もケアしてないし」
ごめんなさい、と樹莉は眉を下げて謝罪した。
30代になってお尻の形が崩れ始めた。背中や腰回りの肉付きも良くなった。自分の背面をあまり見ないせいで今になって焦り始めている。毛の処理は大丈夫だろうか。こうなるならサボりがちだったボディスクラブをちゃんとしておけばよかった。肌がガサガサしているかもしれない。
「ありのままでいい。というかそんなこと気にしてる余裕ないんだ、実は」
二階堂は樹莉の身体を器用に反転させると今度は正面から抱きしめた。
勢いのついた身体は二階堂のしっかりとした胸に寄りかかる。
トトトトトトトトトトト……
寄りかかった身体から伝わる心音は樹莉のものよりも早くて大きかった。
驚いて見上げれば申し訳なさそうな瞳が謝罪する。
「仕事してる方が楽なぐらい緊張する」
「…ふふふ」
あれだけイキイキと仕事の話をして、役職関係なく誰にでも物おじせず意見を言う二階堂が今とてつもなく緊張していた。その様子を知り樹莉の肩がくすくすと揺れている。
「おい、笑うな」
「ごめんなさい。でも、」
うるさい、と唇が塞がれる。目をまんまるにした樹莉の顔が二階堂の細められた瞳いっぱいに映った。
「………いやだった?」
静かに離れた唇を呆然と見送る樹莉に二階堂が訊ねる。樹莉はようやく現実に戻ってきて「ううん」と首を横に振った。
「でも…びっくりした」
「キスは許可制にしようか?」
「え、それはそれでどうかと」
どうしたらいいかわからない樹莉は目を逸らして逃げるように俯いて二階堂の肩に頭頂部を押しつけた。