契約違反ですが、旦那様?
「…今何時?」
煩わしそうな面倒くさそうな声が樹莉に問いかけた。起きたくない、と全力で我儘を言う子どもみたいに二階堂は身体を丸めて樹莉の肩口に顔を埋める。
「6時過ぎたところ」
「…そう。おはよう。身体は辛くない?」
樹莉の身体を包み込むように回されていた手が樹莉のお腹を撫でた。
数時間前まで二階堂を飲み込んでいたそこはまだ彼の存在感を感じる。それを素直に伝えれば楽しそうな声が落ちてきた。
「あまり酷かったら仕事休めばいい」
「…無理よ、今日は」
「でも、もし子どもができたら引き継ぎはしないといけないだろ?」
眠そうな声なのに言ってることは鋭かった。そこまでまだ頭が回っていなかった樹莉はどこか寂しく思いながらも「確かに」とうなづく。
「ねえ、エビデンス残したいの」
「…エビデンス?」
「その、こうなった経緯、というか約束や条件を」
「すでにメモった」
さすが、と樹莉は声に出さずに二階堂を褒める。二階堂は樹莉がシャワーを浴びている間に簡単にまとめてくれていたようだ。
「デキたらその時にまた作り直しでいいか?」
「うん、そうね」
「養育費云々もあるしな。だったら先にそれ用の口座も作るか」
「気が早いわ」
「善は急げって言うしいいんじゃないか」
ふわぁ、と呑気な声が聞こえる。ただし、言葉は全然呑気じゃない。
「キャッシュカードとか預けておきたいし」
二階堂が日本にいる時間は少ない。今はネットでも簡単に作れるが、顔を合わせて内容をすり合わせする方が色々安心だろう。
樹莉はベッドの足元にぐちゃぐちゃになっていたバスローブを手繰り寄せると二階堂の腕を解いてそれを羽織った。これからまた仕事だ。だけど一度帰りたい。
「一緒に風呂入る?」
「そんな時間ないわよ」
「ここから直行すればいいのに」
「そんなわけにはいかないわよ」
呆れたように言い返しながら樹莉が振り返る。だけど二階堂の次の言葉に絶句した。
「着替えならクリーニングに出した」
「え?」
「シワシワの服で出勤できないだろ」
「……同じ服で出勤できないわよ」
「そこは甘んじて受け入れろ」
呆然と立ち尽くす樹莉に二階堂がベッドの中から手を伸ばす。
「だからほら。もう少し寝よう」
信じられないような目で自分を見る樹莉に笑いながら、なかなか伸びてこない腕をとると問答無用で再びベッドの中に引き摺り込んだ。