契約違反ですが、旦那様?
その日から二人は会うたびに身体を重ねるようになった。平日は夕食を食べてホテルに向かう。夜を共にして朝を迎えた。
週末も一緒に過ごすようになった。さすがにデートらしいデートをしていないのもまずいと二階堂が言ったからだ。樹莉はあまり気にしていなかったが、水族館や映画館などデートの定番という定番スポットは回った。
そんなキャラじゃないのに夢の国でネズミの耳カチューシャをつけてアトラクションに乗ったし、少し足を伸ばして関東近郊付近へ旅行もした。樹莉のコスメカウンター巡りにも二階堂は付き合い、あれじゃないこれじゃないと意見を出し合った。カフェで本を読みながら互いに思い思いの時間を過ごしたり、美術館巡りやお芝居を観に行ったり、どこにでもいる恋人たちのようにふたりは同じ時間を過ごした。
いつの間にか傍にいるのが当たり前だった。ずっとこの時間が続くなんて錯覚しはじめそうになった頃、二階堂の渡航日が決まった。
お互い口には出さなかったが、残り少ない時間を惜しむようにふたりは毎日のように仕事終わりに合流した。ある時は樹莉がひとりホテルの広いベッドで寝静まった後に二階堂が部屋に訪れたり、ホテルにこもって仕事をしていた二階堂の元に樹莉が訪れたりと様々だ。スケジュールの調整をして休日と有給をうまく使って少しでも長く共に過ごせる時間を捻出した。
「樹莉」
「…行ってらっしゃい。気をつけて」
二階堂が一時帰国中の二ヶ月はあっという間に終わりを迎えた。今日の午後の便で二階堂が現地に向かう。
ベッドの中から二階堂が眠そうな声で樹莉を呼んだ。樹莉はいつものようにホテルで別れるつもりだったが呼び止められて足を止めた。
見送りに行けるほど心に余裕なんてない。これはお互いの利害が一致したことがきっかけで始まったのに、樹莉にはそれを取り繕う余裕などなかった。
「あまり無理すんな」
「…うん」
「連絡するから」
「…ふふ。期待しないで待ってる」
一度、二階堂に背中を向けた樹莉だが、これが最後になるなら、と裸のまま腕を広げていた二階堂のもとに仕方なく飛び込んだ。首を抱きしめていつも二階堂がくれるようなキスをする。二階堂は一瞬目を瞠ったものの樹莉の後頭部に手を回してそのキスを飲み込むように噛み付いた。
誤算だった。こんなにも心が乱されるなんて考えたこともなかった。恋なんてしないと思っていたのに、これが恋だと気づいてしまった。でも口に出したら負けだ。なぜなら、互いの利益を追求したものだから。
そんな樹莉の気持ちを他所に二階堂はベッドに引きづり込んだ。
頭ではわかっていても、感情がついていかなかった。
そして二階堂が発ち、間も無く二ヶ月という頃。間も無く今年が終わるそんな年の瀬に樹莉は自宅のトイレでひとりこっそり泣いた。
「…昴」
はじめの頃は時間も合わせてオンライン通話をした。だが、時差と電波の都合もあり、今月に入ってなかなか顔を合わせることができていない。世間はクリスマスだというのに「メリークリスマス」も言えなかった。もうひとつ、二階堂には言っていないことがある。それは先月樹莉の誕生日だったことだ。
「…がんばるから」
まだ姿かたちも見えない新しい命が樹莉のお腹に宿った。年末に向けて先月も今月も忙しくしていた樹莉は「そういえば月のものが来ていない」ということに気づき、先ほど薬局に寄って帰宅したばかりだ。そしてその判定窓にはしっかりと縦線が入った。まだ膨らみのないお腹を撫でながら樹莉はしばらく泣き続けた。