契約違反ですが、旦那様?
 
 年が明け、暦上ではすでに春を迎えた頃。二階堂の赴任地チリは真夏を迎えていた。樹莉は数日前に「話せる?」とメッセージを送った。二階堂はなんとか調整して時間をとってくれた。

 「条件のすり合わせをしたいの」

 久しぶり、元気?なんて言葉は出てこなかった。現地時間の午後10時を過ぎた頃なのに二階堂はまだ職場にいるという。樹莉はあと10分ほどで始まる打ち合わせの前に会社の非常階段に通じる扉を開けた。

 『すり合わせ?』

 おはようもこんばんはもない樹莉の態度に電話の向こうから訝しげな声が聞こえた。その声はどこか疲れているようにも聞こえる。樹莉は腕時計をチラッと見て要件だけ伝えることにした。
 
 『ええ。…子どもができたの』
 
 ついさっき上司も交えて今後のことを話した。二階堂は樹莉の言葉に一瞬言葉を失くしたものの「そっか」と深い溜息が聞こえた。そのため息はどこかほっとしたような嬉しそうな響きを感じさる。決して嫌だとは思っていないのは樹莉にもわかった。

 『よかった、おめでとう。というか予想以上に早くて驚いた』

 それでも二階堂からちゃんと「おめでとう」言葉が聞けてようやく胸を撫で下ろした。いくら契約とはいえどこれからは夫婦になる。それにお腹の子どもの父親だ。年に1・2回しか顔を合わせなくても嫌っては欲しくない。

 「私も驚いたわ。この期間でできるとは思ってなかったの」
 
 一応樹莉のバイオリズムを考えながら、妊娠しやすい周期はなるべく身体を重ねるようにした。とはいえ、10月に入り、二階堂との別れが迫ってきた時はバイオリズムとか関係なく毎日のようにセックスした。だからできても不思議はないが、子どもができなくて悩んでいる人の話などを聞くともっと時間がかかると思っていたので驚いた。

 『ってか報告遅くないか?今何週?』
 「安定期に入るまでは黙っていようと思ったの。今18週」
 『…!18って、そんな大事なこともっと早く言ってくれ!』

 二階堂の焦った声に樹莉は目を丸くする。もともとはひとりで育てるつもりだった。それにそういう約束だ。もちろん二階堂には経済的な支援はお願いするところもあるが、最悪今の貯金でなんとかなるところまでするつもりだった。だから二階堂にそんなこと言われるとは思っていなかったので思わず「ご、ごめんなさい」と呆気に取られながら返した。

 二階堂が呆れた声で「あのなあ」と何か続けようとして言葉を切った。樹莉は一瞬何を言われるのかと身構えたが「まあいいや」と諦めたようだ。

 『近いうちに帰るようにする。その時樹莉の実家に挨拶行って籍も入れよう。今後のことについても話そう。電話よりも顔見て話す方がいいだろ。あと、安定期といえど安静にしてくれ。心臓に悪いから』

 二階堂はすぐに「早かったら来週あたりで、いや、その次の週か」とぶつぶつ言い始める。樹莉は勢いで承諾してしまったものの、二階堂が相手でよかったと心の底から安堵した。

 
 
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