契約違反ですが、旦那様?

  
 希柚は名前の通り、たくさんの人に可愛がられた。樹莉の地元はどうしても若者が少ない。よって、希柚は生まれた途端アイドルで、周囲からの大きな愛情を浴びながらすくすくと元気に育った。

 昴は一ヶ月も滞在したこともあり、次に帰国したのは一年後のことだった。しかし、希柚の体調が良くなかったのと、プロジェクトの進捗上あまり長く滞在できなかった。携帯でのメッセージのやり取りは徐々に少なくなっている。

 樹莉は不安に思いながらも、契約上昴の仕事には口出ししないと決めていた。ただ身体のことは心配だったので、写真を送ったり動画を送ったりして昴の様子を伺った。

 『これから数日鉱山に潜ることになった』

 希柚が3歳を迎える年にこのメッセージを最後に昴から連絡が取れなくなった。不安になった樹莉は二階堂の両親に連絡したものの「何かあれば会社から連絡が来るわよ。大丈夫よ」とあっけらかんと返された。そもそも夫妻はヨーロッパ周遊中で電話の向こうはとても楽しそうだった。なんだか馬鹿らしくなり気にしないように努めた。だけど「気にしない」と思えば思うほど気になり、そんな自分が嫌だった。

 「本当に大丈夫なの?」
 「うん。そろそろ何かしないと頭も身体も鈍っちゃうから」

 樹莉は仕事をすることにした。そして関東に戻る。
 住まいは以前住んでいた地域の近くだ。保育園も見つかり、樹莉は希柚を連れて再びこの地を訪れた。引っ越しは美奈子にも手伝ってもらった。一度樹莉と希柚に会いに新潟まで来てくれたが、それ以降は時々メッセージのやりとりをするだけだった。それでも相変わらず美奈子は美奈子で、移動で疲れてしまった希柚を見た美奈子は「パパそっくりね」と笑った。

 樹莉の手探りな新生活が始まった。退職した古巣からも「戻ってこい」と連絡があったが、選んだのは古巣の子会社で自由の効く契約社員だ。もちろんかつてのキャリアがあり、同僚もいたため都合がつきやすいという理由で選んだ。

 希柚を保育園に預け、仕事をし、希柚を迎えに行き一緒に食事をして眠る。それが樹莉の日常になった。

 昴から連絡はなくとも、養育費は支払われ続けた。だからきっと昴は生きている。何かあればさすがに会社から連絡があるだろう。樹莉は自分で自分を納得させた。

 そして昴と連絡が取れなくなり、半年が過ぎて一年が過ぎた頃。

 「ただいま、樹莉」

 突然樹莉の目の前に昴が現れた。初めて逢った時と同じく、日に焼けて少しくたびれた顔が嬉しそうに樹莉を抱きしめた。

 
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