契約違反ですが、旦那様?
そう思うのも無理はない、か。
樹莉は希柚の小さな頭を撫でながら小さくため息をついた。そして元凶であり、悲しげに膝をついたまま呆然としている昴を見て大きなため息を吐き出しそうになってなんとか堪えた。
「…ほんとうにパパなの?」
希柚の好奇心旺盛な瞳が不安げに揺れる。「うそじゃない?」と問われている気がして樹莉は優しく微笑んだ。
「希柚のパパよ」
「…ほんとうにパパなの?」
「そうよ」
希柚は樹莉に抱きついたまま「父親」と言われた男を改めて見上げた。
父親に似た二重の少し垂れた目元がぱちぱちと瞬く。おもむろに樹莉から離れると、それでも少し距離をとって昴の前に立った。
「…ぱぱ、ですか?」
「そうだよ、希柚」
子供の心は機敏で繊細で聡い。大人が嘘をついていればすぐに感じ取るはずだ。昴と音信不通だった樹莉は希柚の目から見れば、そう映るのもおかしくない。むしろそれが自然で、希柚は幼いなりに自分の両親は離婚していて母親と暮らしていると考えていたのだろう。それでも今、自分なりに受け入れようとしているらしい。
少しでも動くと希柚がすっ飛んで逃げそうな気がして昴は動けないようだった。本当は抱きしめたいのだろう、白いTシャツから剥き出しの日に焼けた腕が行き場をなくしている。
「…おなまえは?」
「!にかいどうすばる、です」
「パパのなまえ!」
パッと花が咲いたように希柚は笑う。そのまま樹莉を振り返って「パパと同じ!」とはしゃいだ。希柚は父親の名前を覚えていたようだ。
昴が悲しげに眉を下げるのも無視して嬉しそうに抱きついてきた娘を樹莉は受け止めた。
「…名前は知ってたのか」
「うん、ママがおしえてくれたの」
希柚が自慢げに言う。さっきまでどこか警戒心を滲ませていた娘が自慢げに胸を張る姿に昴は言葉を失った。言葉を話して表情を変える。当たり前のことなのに、昴は自分の娘の成長ぶりをどう言葉にしていいのかわからなかった。しかし、少しだけ娘の警戒心が緩んだことはわかる。
そんな娘の変化に目敏く気づいた昴は「おいで」と手を広げた。希柚は樹莉の顔色を窺う。「行っていい?大丈夫?」と聞いているようだった。樹莉は希柚に小さく頷く。「大丈夫よ」と背中を押してやれば希柚は嬉しそうに駆けて行った。
「ぱぱ!」
「希柚」
昴は泣きそうになりながら希柚をしっかりと抱きしめた。小さな肩に負担がいかないように配慮しつつも娘を確かめるように何度も何度も大きくなった背中を撫でる。希柚は嬉しそうに目を細めると昴の首をぎゅっと抱きしめた。