契約違反ですが、旦那様?
「寝た?」
「うん。スコーンって寝た」
寝室から出てきた昴は父親の表情をしていた。今朝は泣きそうになっていたのに、今はもう十分頼りになりそうだ。
(六菱のエースなのに)
残念ながら、樹莉の知る昴ではない。愛娘に手のひらの上でコロコロされているどこにでもいる一人の男性だった。
樹莉は冷えた麦茶を動物の絵のついた可愛らしいプラスチックのコップに注ぎ昴の前に出した。昴は「ありがとう」と微笑むとそのお茶を一口飲む。
「何から話すか」
「話しやすいところからどうぞ」
樹莉もまた昴の対面に腰をかけてお茶を飲む。昴はコップを置くと、連絡が取れなくなった理由について説明を始めた。
「…携帯をなくしたんだ。鉱山に潜るから連絡が取れない、と言っただろう?その時山崩れが起きて5時間ほどだけど閉じ込められてしまった」
それほど大きな山崩れではなかったというが、それでも閉じ込められたと聞いた樹莉は息を詰めた。目を瞠る樹莉に昴は安心させるように微笑む。
「若干脱水症状になりかけたけど平気だよ。怪我人もいなかった。だけどその時、携帯を落としてしまった。」
昴が視線を落とした。
「何か緊急の連絡があれば出られるようにって肌身離さず持っていた。それが仇になった」
会社の携帯は通話履歴やメッセージの履歴が会社に知られるうえ、セキュリティの問題もある。さすがに会社の携帯で樹莉と日常のやり取りはできないため、昴はいつもプライベートの携帯を持ち歩いていた。しかし、山崩れが起きた時、会社の携帯と共に落としてしまった。
「幸運にもうまく閉じ込められたんだ。多くは下敷きになったりするはずだ。押しつぶされて圧死など珍しくない。でも俺は五体満足、擦り傷、軽い脱水症状で済んだ。樹莉と希柚が守ってくれたんだと思った」
おまけに閉じ込められた先は脱出しやすい場所だった。外に近いため電波が繋がった。同じく閉じ込められた同僚が外に電話し、二次災害が起きないよう慎重に脱出することができたという。
樹莉は目の前に伸びてきた手に肩を強ばらせた。その手は宥めるように眦を拭う。遅れていつの間にか泣いていることに気づいた樹莉はその手を恐る恐る掴んだ。
「守ってくれてありがとう」
昴がこんなにも大変なことになっていたのに自分は、と樹莉はどこか罪悪感が胸に広がった。だけどそれ以上に無事でよかった、と安堵する。昴は身を乗り出して、一日労働して崩れてしまった樹莉の頭頂部にキスをした。思わず肩を竦めた樹莉に笑う。
「だから、俺仕事辞めてきた」
?!?!