契約違反ですが、旦那様?
『なにその面白い展開!』
電話の向こうからワクワクとした声が聞こえた。相手は美奈子だ。
昴が帰国したことを伝えれば電話がかかってきた。
ちなみに今昼休憩中である。
樹莉はお弁当を食べ終わると息抜きのために百貨店の裏に出てきた。
イヤフォンをして携帯に向けて喋る。
『へぇ、そうなの。二階堂さん、ついに猫脱いだのね』
「…被ってたの?」
『うーん、まあ。うまく隠していたんじゃない?でも普通週2、3ぐらい会えば勘づくでしょ?』
「…仕事の話ばかりだったし。早い時は一時間で解散したし」
樹莉は小さな子どもが拗ねたような声を出した。その不機嫌な声を聞いて美奈子がまた大笑いする。『輝世堂の松木樹莉がねぇ』と随分楽しそうだ。
樹莉にしてみれば、樹莉だってただの人間で一人の女性だ。たまたま広報部で新卒から長く勤めて適性があって仕事をこなせた。あとはこの顔面のおかげだろう。それがいつの間にか”輝世堂”を大きく背負ってしまった。樹莉自身それほどプレッシャーに感じたことはないが、周囲はやはりそういう目で見ていたんだろう。
『樹莉って敏感なのか鈍感なのか分からないのよね。しっかりしてそうで危なっかしいというか。よかったわね、二階堂さんがまだまともで。それで彼は?』
昴は昨夜自分の言いたいことだけ言い終えると潔く帰って行った。そして当然のように今朝自宅にきた。朝起きて昴がいないと落ち込んだ希柚は大喜びだ。前日の反省を生かして早めに準備をしたが、早めに出ようとする樹莉を引き伸ばしたのは希柚だった。
『それはそれは。嬉しかったのね希柚ちゃん』
「そうね」
『少し面白くない?』
「少しどころか結構面白くないわね」
樹莉は隠さなかった。希柚が「ぱぱ、ぱぱ」と言うのも面白くない。それ以上に昴を邪険にできない自分も腹立たしい。
そんな樹莉の様子に美奈子が大笑いしている。さっきからずっと失礼だと樹莉は半目になった。
『でもいいじゃない。樹莉だって同じ気持ちでしょう?』
「え?なにが」
『……二階堂さんの先が思いやられるわね』
今度は失礼なほど大きな溜息が聞こえてきた。それほど哀れみ向けられる理由が分からない。樹莉は昴のことを好きか嫌いかと言えば好きな部類だ。だけどそれはあくまでパートナーであり人としてだ。男性的な意味では、と言いそうになって苦い思い出を飲み込んだ。
「とにかく、希柚の父親としては頼りになるけどそういうのじゃないの」
『ふーん。まあとにかく愛されてみなさいよ』
「だからそういうのじゃないって」
『大丈夫よ、そのうちわかるから』
じゃあね、と美奈子の電話が切れた。ムキになって取り乱した自分が恥ずかしい。樹莉ははぁあ、とため息をつくと「仕事仕事!」と気持ちを切り替えた。