契約違反ですが、旦那様?
仕事を終えていつも通り駅の改札を出たところにこの場にふさわしくないほど浮いている男が立っていた。
Tシャツにデニムと何気ない装いなのに全然溶け込めていない。夕方の午後五時半を過ぎた駅はくたびれたサラリーマンやOL、学生たちで湧く中、圧倒的にオーラが違う。
「おかえり」
改札を通り抜けながらぼんやりとその男、夫である昴を眺めていると視線に気づいたらしく、顔を上げるなりふわりと笑った。隣の改札から出てきたおばさまが「え?」と驚いている。「ちがうわい!」と心の中でツッコミながら夫に呆れた目を向けた。
「ただいま。どうしたの?」
「迎えにきた。希柚を迎えにいくだろう?俺一人じゃいれてくれないかもしれないから」
肩を竦める姿はもう最早現地人と同じぐらい違和感がない。「はいはい」と返事をしたものの、樹莉は自転車だ。
「一旦家寄って自転車置いて行こう」
「遅くなるじゃない」
「さっき連絡しておいた」
そんなところだけちゃっかりしてる。
「六時までにきてほしいって」
「徒歩でちょっときびしくない?」
「いけるいける」
鍵貸して、と昴は樹莉から鍵をもらうと自ら自転車を押して歩き始めた。背中のリュックを背負ったままの樹莉に「背負おうか?」と確認する。
「いいわよ」
「そう?だったらいいけど」
昴は無理矢理持とうとすることもなく、自宅に向かう道をどうでもいい話をして歩いた。てっきり何か言ってくるのかと身構えていた分ちょっと拍子抜けだ。
「あれ?ぱぱもきたの?!」
ふたりで保育園に迎えにいくと、希柚が嬉しそうに飛び跳ねた。「遅くなる」と連絡があった時はちょっと落ち込んでいたらしい。
「ごめんな、希柚。パパがママを迎えに行って来たから遅くなったんだ」
「ゆるしたげる」
これもって、と希柚は昴にさっそく荷物を預け始める。昴はでれでれとして娘の言われるがままだ。
「まま、あのね、きょうね」
しかし、保育園を出て歩き始めるといつも自転車を持つせいで手があいていないママの手があいていることに気づいた娘は甘えるように樹莉の手を繋ぎ嬉しそうに今日あったことを話はじめた。
「それでね!」
「希柚〜、パパとも手繋ごうよ」
昴は荷物を片方にまとめて希柚の空いた手を掬う。昴と樹莉で希柚を挟んで歩きながらその手を繋いだ。
「わぁ、みて!まま、かげ!」
夕日に照らされて出来た影が親子三人仲良く手を繋いでいる様子を表している。希柚は嬉しくて手をぶらぶらさせてニコニコしながら樹莉を見て昴を見てと忙しそうだった。
「ぱぱ、きょうもよるごはんたべる?ままあるよね?」
昨日はあったのに今日はない、とは言えない。
そして、今夜は昨日お預けしたハンバーグだ。追加で準備した。
「あるわよ」
「やったあ!ままのはんばーぐ、すき!おいしいよ、ぱぱ」
「それは楽しみだ」
昴が優しい顔で希柚に笑いかける。
嬉しそうに樹莉の手料理の美味しさを教えている娘とそれを丁寧に耳を傾けている父親を見て「さてどうするか」と樹莉は内心で項垂れるのだった。