契約違反ですが、旦那様?
「なんか不満そうね」
昴が帰国して1週間。樹莉はある意味不満だった。希柚にとっていい父親で樹莉にとってちょっと面倒くさいというか意地悪な旦那に対してだ。
「…別に不満というか」
「ふーん?娘ちゃんがパパパパ言ってるってブー垂れてたくせに?」
____ぱぱ、どうしてかえっちゃうの?きゆのおうちここなのに。
きゆが寂しげに昴に訊ねたのは先日のことだった。昴は一応まだ仕事をしているので、ここ数日は家に来れたり来れなかったりする。そのせいで希柚が寂しそうだった。
希柚の問いに昴は「お仕事が忙しくてごめんな」と謝った。だけど「もう少ししたら一緒に住もうな」と樹莉もびっくりなことを宣った。
ほんと?いつ?
うーん、来年ぐらいかな。
初耳だ。寝耳に水だ。そもそも契約違反じゃないか。喉から競り上がった言葉を無理矢理飲み込んだ。昴はきっと気づいているはずなのに、希柚を丸め込んだらうまくいくと思っている。
「それよりも。相談もなく勝手に決めないでほしいわ」
「たとえば?」
「引越しとか」
「できればこの店から通える範囲にしてね」
カウンター内で売上の入力をしていた樹莉に声をかけたのは同期であり、母としての先輩である、武井裕子だった。武井は今、横浜支店の支店長であり、良き相談相手でもある。子どもふたり抱えてフルタイムで働けるのは、旦那がSEだからだと笑っていた。おかげで子どもたちも父親に懐いて、なんて つい先日話をしたところだ。
「それでね、ひとつ相談なんだけど」
裕子も元々総合職で、出産を機に退職した。そして、子会社へ転職。はじめはパートから始まり今は正社員だ。上の子が小学生に上がったからと自由に働いている。下は幼稚園だ。ちなみに樹莉に声をかけたのも武井である。
「急なんだけど今週末の土曜、シフト変わってくれない?できればでいいの。旦那に仕事が入っちゃって。子どもたちふたりでお留守番はまだちょっと心配で。お松のところ旦那さんいるならちょっとお願いできないかなーって」
今週は館の催事場で全国物産展が開催される。そして、輝世堂のこの冬限定のパレットや保湿成分を多めにした冬用の化粧水などが発売される日と被る。
「戦力は多いにこしたことはないし、樹莉なら任せられるし」
「てんちょー」
「とりあえず聞いてみて?ね?」
裕子は「よろしく」と樹莉の肩を叩くとまたフロアに戻っていった。今夜昴が来たら聞いてみるか、と樹莉は小さく溜息を吐いた。