契約違反ですが、旦那様?
「いいよ」
その夜自宅を訪ねた昴は、眠い目を擦り必死に起きていた娘を寝かせたあと、樹莉のお願いに快く頷いてくれた。
先日の土日は昴に予定があるとのことで夜に少し顔を出したぐらいだった。てっきり何か予定を詰めているのかと思えば。
「そういうことなら話は違うだろ」
「……ふーん?」
「なんだよ」
樹莉はやっぱり気に食わない。希柚と「一緒に住む」と約束したことも希柚を誑し込めばいいと考えていることも。
もちろん子どもにとって親が揃っている方がいいとは分かっているけれど。そこまでできた人間じゃないと樹莉は知っている。
「…別に。じゃあよろしく」
「樹莉」
「いつもより帰りが少し遅くなるわ」
樹莉はバスタオルを頭に被ったままキッチンに向かう。冷蔵庫を開けて冷えた麦茶を取り出した。
「樹莉」
「なに」
「俺は樹莉と希柚の傍にいたいんだ」
「で?」
樹莉の目が胡散臭そうに昴を見る。この間の告白から樹莉は改めて“二階堂昴”という男を考えていた。
「そんな冷たい態度やめろ」
「どうして」
「傷つくだろうが」
昴は樹莉を背後から抱きしめると許しを乞うように背後の肩に顔を埋める。風呂上がりのほのかな石鹸の香が昴の鼻腔をくすぐった。
「自分が勝手なこと言ってるって分かってる?」
「……それは」
「誰にも相談なく勝手に決めて希柚にも期待させて」
「樹莉は…一緒に住むのは嫌か」
半ば理解している風なニュアンスに樹莉は昴の腕を払いのける。麦茶を飲み干すとさっさと寝室に向かった。
「おやすみ。鍵閉めて帰ってね」
パタン、と閉じられた扉を見て昴が項垂れる。
先日ここで樹莉をめちゃくちゃにして以降、非常に警戒されていた。ただの照れ隠しかと思ったらそうではないみたいだ。
「……うまくいかねーな」
きっと樹莉も同じ気持ちだと思っていた。
少なくともあの時はそう思っていたし、毛嫌いするような、シャットダウンするような素振りはない。
しかしここに来てようやく気がついた。契約を遵守していればこそ良きパートナーだ。契約内容に記載していない、グレーなことばかりしているとやはり気分はよくないのだろう。それは、家族だし、希柚がいるから曖昧にできるかと、なあなあにしてもらえると思っていた昴が甘かった。
「とはいえ。諦めるつもりはないんだ。悪いな、樹莉」
昴はポツリと寝室の向こうに消えていった妻を見て宣戦布告する。樹莉と希柚とちゃんと家族になりたい。樹莉に愛されたいし、もっと愛したい。せっかく仮初でも手に入れたのだから、あとは篭絡させるまでだと改めて計画を練り直す。