契約違反ですが、旦那様?
「すいません、ちょっといいですか」
そこに声をかけてきたのは昴だった。河本が「はあい♡」と語尾にハートをつけて飛んでいく。
さっさと希柚を連れていってほしいのに、と樹莉は肩を落とした。ちなみに希柚は手鏡を離さずにこにこと鏡を見つめている。このままでは持って帰りそうな勢いだ。
「あのね、まま、かっこよかった!」
「?」
「樹莉が仕事している姿をずっと見てたんだよ。な、希柚」
「うん!」
まさか見られていたとは思ってなかった樹莉は目を丸くすると眉を下げてはにかんだ。娘の目はキラキラと輝き、尊敬の眼差しをむけている。
「希柚はピンクとオレンジどっちがママに似合うと思う?」
「ぴんく!」
昴は新商品のパレットを片手に持っていた。そしてなぜか希柚に訊いた。即答だ。おまけに樹莉なら絶対選ばない色。このパレットもベースが、ブラウン系、ピンク系、オレンジ系、と3種展開で、それぞれに合う、チークやハイライトなどもセットで入っている期間限定の商品だ。
「じゃあこっちで」
「え?買うの?」
樹莉が目を丸くする。昴はあっさりと樹莉のメイクポーチの中身について暴露した。
「茶色とベージュばっかだし、結構中身減ってたし」
「あ、そうなんですよ。松木さん、茶色ばっかで」
「青とか紫とかつけろって言わないからもう少しカラフルにしたほうがいいんじゃないか?」
昴にそれでもBAか?と暗に言われた気がした。
樹莉はツンとそっぽを向く。
「…うるさいわね」
「うるさくしたいから俺が買う。あとさっきのリップグロスもいただけますか」
「ありがとうございます!」
「ぱぱ、きゆは?」
「希柚はあと10年経ったら買おうな」
「えーーー!」
「それまではママに貸してもらえばいい」
「わかった!」
希柚はハイっと手を挙げた。
そんな希柚の頭を昴が撫でる。
「何かお探しでしょうか」
先ほど昴が目を皿にして眺めていたパレットを一人の若い男性が手にとっていた。樹莉が気づき近づいていく。
「あ、この、パレットなんですけど…」
居心地悪そうにしていた男性はなんでも交際相手がこのパレットが掲載されている雑誌を見て「かわいい」と言っていたんだそう。
ちょうど誕生日も近いのでそれならと実物を見てみようと立ち寄ったとのことだった。
「あちらのお客様も先ほど奥様へのプレゼントにご購入されました」
昴に視線をむければ、男性客もつられて昴を見ていた。昴は希柚を抱き上げると、輝世堂のロゴが入った青みのかかった白い紙袋を受け取り堂々と店を出て行く。
男性は吸い寄せられるままにパレットを手に取ると、同じく、ピンクかオレンジで迷い始めた。