契約違反ですが、旦那様?
そのパレットを取り出して並んでいる色を見る。どこに行くのかわからないがベースからもう少し整えた方がいいかもしれない。
樹莉は知らず知らずのうちに心がふわふわとし始めたことに気づかない。一方昴はそんな樹莉を見て溜息をついていた。
思い込みが激しいのか、予防線が強すぎるのかわからないが、樹莉のその鈍感さをなんとかしないといけない。
昴自身樹莉に嫌われてはいないと思っている。それは人としても男としてもだ。キスをしても受け入れてくれるし、デートに誘えば表面上仕方なさそうに見せているが、メイクをする様子はどこか浮き足だっているように見えた。
(頑固なんだよな。あと意地っ張りで思い込みが強い。縛られすぎ)
樹莉に言ったところで理解できないだろう。
だけど、変に大胆というか、よくわからないところで思い切りがいいのも面白い。
(さて。どうやって受け入れてもらうかな)
契約の話は平行線のまま。
つまり、このままだと昴は会社を辞めても樹莉と希柚と同じ家で暮らせない。
同じ家で暮らせないと会う時間も少ない。何より“家族”として関係性を築いていくことが難しい。今はまだ希柚も“パパ”と言ってくれるが、これが数年もすれば“パパ嫌い”になるのだ。女の子の父親なら誰だってぶつかる壁だと同僚が笑っていたが、小さな頃も知らないのにすぐに嫌われるのは避けたい。
(そう思えば俺も迂闊だったんだろうな)
先日一日中希柚と過ごして痛感した。
そして母は偉大だと思う。食事をひとつ取るにしても、やっぱり時間はかかるし上手に食べられない。口の周りは汚すしこぼすし話があっちいったりこっちいったりとついていくのが大変だ。
だけどだからと言って「面倒」だとは思わなかった。それを樹莉ばかりに背負わせてしまうことに罪悪感はあったものの、子どもとはそんなものだと思っているので、慣れるしかない、で着地した。
「ねぇ、どこに行くの?」
樹莉が鏡台の鏡に映る昴を見つめて訊ねた。昴は少し悩む。
「逆に行きたいところある?」
「……ないわ」
樹莉は少し悩んでまたメイクに集中し始めた。さっきまで浮ついていたように見えたのに今はもうただメイクをすることに専念しているようだ。真顔だ。
「適当に車走らせるか」
昴は携帯を取り出すとレンタカーを予約した。