契約違反ですが、旦那様?
声は穏やかなのに眼差しは真剣だった。それだけ真面目に考えてくれたのだろう。その証拠に昴は急かさなかった。
「とりあえず今はまだこのままでいい。俺がアパートに通う。でも、できれば次の仕事が決まるまでにどうするか決めたい」
昴は未だホテル暮らしだった。
最寄り駅の安いホテルに泊まっているという。実家に帰ればいいはずなのに、少しでも長く樹莉たちの近くにいたいのと、実家に帰ればなんだかんだうるさく言われることが面倒くさいという。
そもそも実家には帰国していることすら伝えていない、と笑った。
「その答えによって、マンションを借りる場所も変わってくるし」
特段別居婚が珍しいわけではない。
中には、都内に仕事部屋を持ち週末だけ家族と過ごす人もいる。
だけどそれは昴の本意ではない。
自分だってちゃんと子育てに参加したいんだと言った。
「それに、できればもう一人、家族ほしいんだ」
驚いて樹莉が見上げる。昴は照れくさそうに笑うと耳を赤くした。
「なんだかんだ言ってうちは男3人だったから楽しかった。喧嘩もしたけど、遊び相手には困らなかった」
樹莉はずっと一人だったから“楽しい”がよくわからなかった。父が出ていき、母が働き詰めになり、友人たちも疎遠になった。というのも当時の「離婚」はやはり珍しくて遠巻きにされるのだ。仲のよかった友人が離れていく。樹莉自身それほど社交的でもなかったので、離れていく友人を追いかけるようなことはしなかった。
気づいたらいつもひとりだ。それでも母みたいになりたくなくて黙々と勉強した。ある程度成長すると母に似たおかげで男が寄ってくるようになる。面倒くさくて相手にしなければ男女共に敵を作った。一方そんな樹莉を気に入って珍しくて話しかけてくる人もいた。
一人は慣れてしまえば楽だ。全部自分のスケジュールで動ける。だけど子どものときはやはり、大勢で過ごす方がいいのかもしれない。
「希柚にも弟か妹をつくってやりたい」
希柚は昴に似たのかおしゃべりだ。よく笑い感情も豊かである。話し相手が年上ばかりだと可愛がられることに慣れてしまうのだろう。その証拠に自分より年下の子にはどう接すればいいかわからないようだ。
でももしも弟か妹ができれば今の甘えん坊も少しはしっかりするかもしれない。お姉さんぶってドヤ顔で色々教えるのだろうか。それを想像すると少し笑えてしまった。
昴が不思議そうに樹莉を見下ろしている。樹莉はなんでもないと首を小さく横に振ると昴から距離をとり、海の向こうを眺めた。