契約違反ですが、旦那様?
樹莉がホテルに行きたがらない理由はただひとつ。それは、昴との距離感を保つためであった。契約の内容をこのまま履行するのか、それとも変更するのかどうするかによって距離感の取り方が変わる。
希柚の願う通り「父親と一緒に住む」ことを優先するのか。それとも我が家は我が家だと割り切ってこのまま別居婚を貫くのか。適度な距離感がある方がうまく行くという。実際に今は毎日顔を合わせないためか、それともまだ境界線がしっかりと引かれているせいか、この生活に不満はない。
だけど昴はきっと不満だろう。だから契約内容の変更を申し出た。娘も不満だ。父と母と一緒に暮らしたい、という幼い子どもにとって当然の願いかもしれない。それを樹莉一人が駄々を捏ねて拒絶している状態だ。どちらが子どもかわからない。
「あちぃ」
11月の日中は少し肌寒くなった。だけど半袖で過ごせるほど寒くはない。
昴は鬱陶しそうにパーカーを脱ぐと半袖一枚になる。先ほどまで腕捲りをしていたせいか腕にゴムの跡がついていた。樹莉はその跡を隠すように腕を掴んだ。
「もう、終わり」
よいしょ、と身体を起こそうとしてその腕を支えにする。だけど昴は「だーめ」と笑いながら再び樹莉をラグに押し倒した。
「ホテルに行きたい」
「時間がない」
「今日じゃなくていい。来週とか」
「来週は平日休みがありません」
土日は希柚がいる。そしてその週は希柚のお遊戯会がある。
昴の口元がへの字に曲がった。その表情が希柚そっくりでつい笑ってしまう。
「何がおかしい?」
「希柚にそっくり」
「俺の娘だからな」
そう言ってドヤる顔もまた娘に似ていた。こうやってみるとやはり血のつながりを濃く感じた。
「好奇心旺盛なところもそっくり」
「警戒心の強いところは樹莉に似たな。女の子ならそれぐらいでいいさ」
昴がふと表情を緩める。樹莉も体から力を抜いた。