観念して、俺のものになって
さらに彼女との間を詰める。
もし俺に気づいたとしても、カップを下げにきたのだと言い訳すればいい。
お客様にとって居心地の良い空間を作るのは、俺らの仕事のうちなんだから。
まひるちゃんがページをめくる心地よい乾いた音だけが、俺の耳を打つ。
彼女は本の世界に完全に浸り切った様子で、茶色の瞳を潤ませていた。
まさか、泣きそうになってる?
⋯⋯そういえば、この子はいつもどんな本を読んでいるんだろう。
俺は彼女の目の前にある、空の珈琲カップに手を伸ばす。
あくまでも、自然に。
素知らぬ顔で彼女が読んでいる、本の背に印刷された本のタイトルを盗み見た。
『暁 仁科隆聖』
───ドクンッ
その文字に、俺は言葉を失う。
動揺しながらも、音を立てないようカップを慎重に持ち上げる。
まひるちゃんはとうとう最後まで俺に気づかなかった。