円満な婚約破棄と一流タンクを目指す伯爵令嬢の物語
 名残惜しくて何度も振り返り、ジェイの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

「おまえ、ああいうオヤジが好きなのか?」
「はぁ!?」

 なんて的外れなことを聞いて来るのかしら。
「わたくし、婚約者がおりますので」

 わたしの前を歩き、けもの道を下りるキースが振り返った。
「山猿を婚約者に選ぶとは、よほどの物好きだな」

「ええ、そのせいで婚約破棄される寸前ですの」
 正直に答えると、キースは破顔した。
 笑った顔が、よく似ている――。

「待って。お話ししておきたいことがあります」
 険しいけもの道を抜け、山道に出たところでキースを止めた。

 片足をひょいっと上げて見せる。
「このブーツは魔導具の風のブーツなんですが、これを作ったのはあなたと同じ黒髪のルシードという友人です」

 ルシードという名前を聞いて、キースが奥歯をぐっと噛みしめたのが顎の動きでわかった。
「彼は山で拾われて孤児院で過ごした後、魔導具師の才能を見出されて男爵家の養子になりました。きっと将来は、この国を代表する偉大な魔導具師になるはずです」

 あなたはルシードのお兄さんでしょう?
 目でそう訴えてキースを見上げたけれど、彼は口の端を片方だけ上げて首をかしげ「それが何か?」という顔をしている。

 ルシードは、あなたに会いたがっていますよ!
 口から出そうになったその言葉は、後方から聞こえた「シア!」という、わたしを呼ぶ叫び声にかき消された。

 振り返ると、山道の向こうからレイナード様が今にも泣きそうな顔で走ってくるのが見えた。
 再び視線を戻したときには、キースはすでにけもの道の藪の中へと姿を消した後だった。


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