天敵弁護士は臆病なかりそめ妻を愛し尽くす
「このくらいのことで優越感持たないでください。ごちそうさまでした。ピッピ」

 手を合わせてから、名前を呼ぶと振り返ってこちらに来る。

「いい子だね~」

「そのくらいほめるようなことか?」

「呼び寄せは大事なんですよ。コミュニケーションの基礎です」

「なるほどなぁ」

 壱生は納得したように頷くとすぐに、自分も「ピッピ」と言ってみた。

 しかしピッピは振り向きもせず、必死になって純菜の指をなめていた。

「なんだ、この差は」

 がっくりと肩を落とす壱生がおかしくて笑ってしまう。

「矢吹、ピッピとの時間を楽しんでいるところ悪いが、そろそろ出ないと間に合わない」

 時計を確認すると出発すると言っていた時間を五分すぎている。

「あ~今日は絶対に遅刻できないんです」

「わかってる。急ぐぞ」

 立ち上がった壱生はすぐにスーツのジャケットを羽織った。

 パリッとしたスーツに身を包むとかっこよさが三割いや、四割増す。思わず見とれてしまいそうになったが今はそれどころではない。

 急いでピッピをサークルの中に入れて水とカメラを確認した。

「助かる。ありがとう」

「いいえ。それより急がないと」

「そうだな」

 ふたりはバタバタと部屋を後にし、壱生の運転でマンションを出た。

 壱生のマンションから職場までは二十分かからない程度だ。

 ふと赤信号で車が止まったときに事務所の近くまで来ていることに気が付いた。

「私、ここで降ります。また後で、運転ありがとうございました」

 前後左右を確認して車から降りる。

「は?このまま乗っていけばいいだろ」

 壱生の声が聞こえていたけれど、早くしないと信号が変わってしまうのでそのままバタンと扉を閉じた。

 扉の向こうで何か言っている様子がわかったが、そのまま歩き出した。

 あのまま乗って行けるわけないじゃない。どんな噂が立つか……。

 恋愛経験値の低い純菜だったが、一緒に出勤なんてしたら悪目立ちしてしまうことくらいはわかる。

 ただでさえ壱生のファンは社内外に多いのだ、用心に越したことはない。

 時間はぎりぎりだ。腕時計を確認しながら小走りで事務所に向かった。
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