天敵弁護士は臆病なかりそめ妻を愛し尽くす
 がっくりと肩を落とした純菜の背後から「いやああああぁあああ」という悲鳴が上がった。振り返ると壱生の熱烈なファンが目を見開き茫然となっていた。

 何、これ。なんなの……。

 もう何をどうすればいいのかもわからないくらいぐちゃぐちゃだ。そんな純菜の肩を壱生が抱き寄せる。

「と、いうことで、本当に急いでるんだ。またね」

 こんな混沌とした状態なのに、にっこりと輝くような笑顔を浮かべて壱生は純菜の肩を抱いたまま重いドアを開いて廊下に戻った。

「あんな呼び出しに応じる必要なんてないだろ? 何やってるんだ」

 さっきまで笑顔だった壱生は憤慨していた。

「仕方ないじゃないですか。相手は先輩なんですから。それよりこの手はなしてください」

 フロアにはたくさんの人がいる。こんな密着した状態で歩くなんてとんでもない。ただでさえ、先ほどの件は光の速さで所内に伝わるに違いないのだから。

「それよりも、まずいことになった」

「さっきよりもまずいことなんて、あるんですか?」

 いざこざに巻き込まれてぐったりした純菜の口調がきつくなる。

「ああ、それよりももっとやばい。とりあえず代表に呼ばれているから一緒にきてくれ」

「え!」

 純菜が声をあげて足を止めたせいで、壱生はそのまでつんのめる。

「何だ、急いでるんだ。足を動かせ」

「いや、なんで代表のところに私が行かなくちゃいけないんですか?」

「説明している時間はない。とにかく部屋に入ったら俺の言う事を全部肯定しろ。一切否定するな」

「そ、そんな」

「来い。さっきの噂が代表の耳にも入ったんだ」

 肩を抱かれたままぐいぐい引っ張られる。どうやらこのまま連れ去られる運命のようだ。

 自分のデスクの近くを通ったとき、葵の純菜に向けられた不憫そうな視線がなぜだかとても記憶に残った。

「何で職員のプライベートなことで代表に呼ばれないといけないんですか?」

「しらねーよ」

 百戦錬磨の壱生でも、一代でこの巨大事務所を作った代表を丸め込むのは至難の業なのだろう。いつも冷静なのに焦っている様子が伝わって来た。

「俺のパートナー弁護士への道がかかってるんだ。とにかく協力してくれ」
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