天敵弁護士は臆病なかりそめ妻を愛し尽くす
「ああ、純菜……彼女ちょっと恥ずかしがっているみたいで、すみません」

 それとなく名前を呼ぶなんて、ほんとは弁護士じゃなくて詐欺師なのではないかと疑いたくなる。

「そうなのか、初々しいな。結婚式はいつごろの予定だ?」

 代表は机の上においてあったカレンダーを手にした。

「実はまだふたりで話をしただけで、彼女の両親にはご挨拶を終えてないんです。まだまだ先になりそうですね」

「なるほど。決まり次第仕事の都合はつけるから早めに知らせてくれよ」

「はい」

 それまで厳しい表情をしていた代表が笑顔になる。どうにか納得してくれたみたいだ。ほっとしたと同時に嘘をついていることに胸が痛くなる。

 壱生が立ち上がったので、純菜もそれに倣う。ふたりで頭を下げて部屋を出ようとしたとき「あ、ちょっと待って」と声をかけられてビクッと肩を震わせた。

 やっぱりばれてしまったの? 

 ドキドキしながら振り返る。

「最初に言うべきだったのに忘れていた。おめでとう。ふたりとも」

 その言葉に胸がチクリと痛む。

「ありがとうございます。ほら、純菜も」


「あ、ありがとうございます」
 もう一度頭を下げて部屋を出る。はや足で代表室から一番遠い未使用の会議室にふたりで飛び込み、ふたり同時に大きなため息をつく。

「はぁ、焦った。でもまあうまくいったな」

「心臓が飛び出るかと思いました。私嘘は苦手なんです」

「だろうな。あはは」

 楽しそうに笑っている姿を見て、純菜はむっとした。

「笑いごとじゃないです。どうするんですか! あんな嘘ついて」

 眉根を寄せて壱生に詰め寄る。怒りをあらわにしているけれど壱生は笑顔のままだ。

「嘘にしなければいいだけのは話だ」

「それって本当に結婚するってことですか?」

「もちろん。こんなこともあろうかと準備しておいてよかった」

 スーツの胸ポケットから婚姻届取り出し差し出した。

「なんで持ち歩いてるんですか?」

「純菜がOKしたらすぐにサインしてもらうため」

 ほらとぐいっと押し付けられる。

「そんなさらっと書くものじゃないし、それにさっきから純菜ってなんなんですか?」

「え、呼んだらすごくしっくりきたから。夫婦になるんだからいいだろ? それとも別の呼び方がいい? 純、純ちゃん、あー! なーちゃんとか」

 純菜は名案でも思い付いたかのような壱生に対して白い眼を向ける。

「ひとりで勝手に盛り上がらないでください。だいたい――」
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