天敵弁護士は臆病なかりそめ妻を愛し尽くす
「おっと、悪い」

 壱生がスマートフォンを取り出して、純菜にジェスチャーで断るとすぐに電話に出た。

 しかたない。仕事を優先するのはあたりまえのことだ。

「悪い、俺すぐに出るから。この話は今日の夜」

 鍵をポンッと放り投げて渡された。

「え、ちょっと困ります」

「いいから、早く帰ってピッピの相手してやって」

「あ……そうだった」

 今も留守番をしているピッピのことを言われると強く断ることができない。

「俺、行くから」

「あ……」

 純菜の話も聞かずにさっさと出て行ってしまう。

「もう、全然話聞いてくれない」

 そうはいっても鍵もあずかってしまったし、ピッピのことも気になる。

 今日だけ。ちゃんと話をして結婚なんて考え直してもらおう。

 強く決心をして純菜はその日の仕事も定時で終わらせるべくデスクに戻った。



 その日の仕事中は針のむしろのようだった。

 先輩方から話が漏れたのか純菜と壱生が付き合っているという話は事務所内全体に広がっていた。救いなのはまだ結婚の話まではみんな知らないということだ。

 そもそも断るつもりだから噂になると困る。代表だけには頃合いを見計らって謝罪に行かなくちゃいけない。

 そのあたりのことも今日ちゃんと話し合わないと。

 ひと息つくためにデスクでコーヒーを飲んでいると、そわそわした葵が近づいていた。聞きたいことがあるのが露骨な態度で丸わかりだ。

「私なにもしゃべりませんから」

 先手必勝とばかりに予防線を張る。

「え~ケチ。いいじゃないちょっとくらいラブな話聞かせてくれても」

「ダメです」

 そもそも純菜と壱生の間にラブな話など存在しない。だから話すこともできない。

「ふふふ、恋愛しないって言ってた矢吹さんがとうとう恋に落ちたかぁ」

「いや、そういうわけじゃ」

 肯定したくはないけれど否定するとややこしくなる。なんとなくごまかしながら話から逃げようとする。

「でも鮫島先生の粘り勝ちね。わかりやすくアピールしてたのに矢吹さん全然気が付いていなかったじゃない?」

「は? え?」

 葵の言葉に思い当たるふしがない純菜はきょとんとする。

「え、待って、何? もしかしてあのアピールに気が付いてなかったの?」

「アピールされてたんですかね、私?」

「あぁ、不憫としか言いようがないわね。鮫島先生」

 葵はあり得ないと言う表情で首を左右に振っている。
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