天敵弁護士は臆病なかりそめ妻を愛し尽くす
 壱生のいつもの軽口だとわかっているけれど、それでも『可愛い』と言われると胸がくすぐったくて視線を逸らせてうつむいた。

「なぁ、こうやって一緒にいれば分かり合えるだろ。だから諦めて俺と結婚しないか」

 突然昼間の話を蒸し返されて戸惑いを隠せない。

「いや、それとこれとは……それに順序ってものがあるでしょう? 普通はお互いを知って、告白して両想いになって、付き合っていく上でお互いを理解してから結婚するものじゃないんですか?」

「普通とか一般的とかっていう言葉が俺に通用すると思う?」

 いや、たしかに思わないですけど……。

「でも、私は普通がいいんです」

 波風ない人生がいい。誰に睨まれることなく恨まれることなく生きていたい。他人からの敵意や注目は心身に負担が大きい。

学生時代に経験したことが純菜の中で今もトラウマになっている。

 壱生に関わってしまうと、自分の人生が今まで歩んできたのとは違う方向に行きそうで怖い。

「俺と結婚したら普通じゃなくなるのか?」

「そういう意味ではないんです……なんて言えばいいのかな。私は恋愛も結婚もするつもりがないので他の人の方がいいと思うんです。鮫島先生なら選びたい放題ですよね?」

 何もしなくても女性のほうから寄ってくるだろう。その中からひとり選べばいい。

「だから俺は、君を選んだ」

「違う、私は無理なんですって。どうして私なんですか?」

 話が平行線をたどる。ダメだと言っているのに壱生は一向に諦めるつもりはないようだ。 

 何か私について誤解しているのよ、きっと。だから理由を聞いて説明しなくては。私が鮫島先生が思っているような人間じゃないって。 

 純菜は一方的すぎる申し出の理由をまずは聞くことにした。時間をかければきっと壱生も理解してくれると思ったからだ。

「なあ、自分の結婚式の招待状をもらったことあるか?」

「へ?」

 意味がわからない。言っていることは理解できるが、その状況が想像できないのだ。

「自分の知らない間に、自分の結婚式が決まってるんだ。相手はもちろん他人」

「ひっ……」

 想像するだけで背筋が凍りそうだ。

「じゃあ話をしたこともない相手の彼氏としてSNSに登場したことは?」

「それ……他人じゃ……」

「毎日郵便受けに消印のない手紙や荷物が入っていたことは?」

 ぶんぶんと頭を振って恐怖を拭い去ろうとする。
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