夜を越える熱
アルコールが飲めないと言っても、結局は女性目当てで来たんじゃないのかな、と思う。
そんな藍香の思考を理解したのか、男性は口の端を少し引き上げて笑みの形を作った。案外爽やかで人懐こい瞳。甘めの外見だけれどきっちり着込んだスーツを見ると、どこか堅いところに勤めているのだろうと思われた。
「誰かといないと、こっち来いよって呼ばれるだろ?たぶんきみもそうだよ。……暇つぶしにお喋りでもしないか?俺たちもう会うこともないだろうし、何でも良いじゃないか」
─何でも良い。もう会うこともないだろうし。
─その通りかもしれない。今限りの人なのだから、話くらい。
その言葉にふと藍香は自分の思考がゆっくりと緩まるのを感じた。
「気分じゃなくなったのはなんで?良さそうな男がいなかった?」
そう言われ、藍香は頭を振る。
「違うんです。今日会った人は素敵な人ばかりで……だけど、私、失恋したばかりなんです。というか、失恋とも呼べないカッコ悪い独り相撲で自滅しました」
藍香の言い方に男性はおかしそうに笑って振り向いた。
「すごい言い方だね。一体何があったの?」
笑われても嫌な気分がしないのは不思議だ。
この夜の幻想的な大気と、もう二度と会うこともないだろう、落ち着いたこの男性の雰囲気のせいだと思う。
「長年、片想いだった人がいて。仕事でペア組んでたからずっと側にいたんですけど……なかなか気持ち伝えられなくて。そのうち彼に恋人が出来て。それでも往生際悪く片想いしてたんですけど、来月結婚するんですって」
言葉にするとこんなに簡単な事象なのだなと思ってしまう。
そこに長年の様々な藍香の思いなど介在しない。ただ淡々と事実が語られるだけだ。
「……彼はこのたび昇進して。2年一緒だったその人とペアでの担当者の仕事は…今日が最後だったんです。たまたま最後に外勤に行くことになってたから、気持ちを伝えるだけ伝えたいと思ったんです。もちろん、どうにかなろうとか思っていなくて。ただ伝えたかっただけで」
話しだしたら止まらなかった。
「……でも、残念ながら無理でした。彼の目を見たら、私のことは見てないって…気づいてしまったんです。気持ちが崩れちゃって、最後のチャンスだったのに言えませんでした」