夜を越える熱
藍香は黙っている。

「本当にいいのか?……男がどんなものか知ってるのか?」


「……どういう意味?」
 

恭佑は藍香の細く白い手首を掴んだ。藍香の身体が勢いでぐらりと傾く。


身体を乗り出して、藍香に近づけた顔──それを唇と唇が触れる直前で止めた。


驚きで少し見開かれたその薄茶色の瞳を覗き込む。心の奥まで見透かすように見つめた。



……そのまま、今にもキスしそうな距離で囁いた。


「……こういうものだってことだよ。……藤崎部長だってただの男だ。食われるぞ」


藍香の手首を話す。


微動だにせず、恭佑を見る瞳が濡れているように見えた。



「……歳上の男だ。泣かされるぞ」



返事はない。

数秒の沈黙の後、小さな声がした。


「……心配してくれてるんだね。今井さんは優しいし、すごく良い人だと思う。……でも、今井さんは人に恋をして地の底にいるみたいにみじめな気持ちになったことがある?炎に焼かれるみたいに後悔したことがある?」


松岡のことが藍香の胸を刺す。


「私は早く自分を苦しめる気持ちを殺してしまいたい。……いつまでも苦しいのは嫌。この地の底から助け出してくれる人を、誰か探してるの」


さっきまで強く見返していた目が伏せられ、長い睫毛が藍香の瞳に影を作った。


「……男性がどんなものだったとしても構わない。私をここから違う世界へ連れて行ってくれる人なら」


小さな衝撃が胸を走った。


今まだ、彼女は過去の生々しい思いと葛藤して抜け出そうともがいている。



藍香の思いがただの恋愛感情ではなく、過去から逃れるためのものであることを恭佑は今初めて理解できた。


「今井さんは私のことを慰めてくれた。人を愛する能力があるって……。でもね、もし今井さんの言うとおりだとしたら、こうなるの。こんな風にみじめになるんだよ」

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