ロゼに溺れた熱帯魚
出会い
 哲と初めて会ったのは会社の忘年会だった。

 萌奈の会社は毎年十二月の二週目、なぜか木曜日に、目黒の雅叙園で忘年会をやるのだが、そこに取引先の会社に勤める哲が参加したのは偶然だったらしい。たまたま東京に出張に来ていて、親しくしている萌奈の会社の人とばったり出くわし連れてこられたのだと言っていた。
 営業マンなのにガツガツしておらず柔らかい雰囲気で、話すと関西訛りのある人。それが哲の第一印象だった。紹介され名刺を交換、よくある社交辞令の挨拶を済ませたら、それっきりのはずだった。

 翌日、外回りを経て昼にラーメンを食べようとビルの地下一階にある小さな店に入ったら、あの関西人がラーメンを啜っていた。萌奈は足を止め少し考えた末、隣に座って話しかけたのだ。

「奇遇ですね」
 話しかけた萌奈に哲はあからさまに驚いて、そして破顔する。一瞬硬直した顔がふやけたようになるのは、作りたてのソフトクリームのぴんと立った角がふにゃりと曲がるのによく似ていた。
「昨日の! ああ、東京に知り合いなんて居ないのにってビックリしましたよ。昨日も飯塚さんに駅で声を掛けられた時は同じように思ったんですけどねぇ」
「ええっと、工藤さんでよろしかったでしたっけ?」
「記憶力いいですね。工藤哲です。えっと……」
「南野萌奈です」
「南野さん、覚えました。北にお住まいなのに南野さん」
 萌奈が笑いながら顔を傾げる。すると「僕からすると北にお住まいなんで」と、哲は説明して、駄洒落ですよねと照れたように顎を掻いた。

 萌奈がラーメンを注文すると、哲は横でラーメンを平らげ、更にチャーハンに手をつける。細い体なのによく食べると思っていると、哲は察したように頷いた。
「営業なんで、結構歩くんですよ」
「体力勝負ですね。でも、そちらの会社で扱うものは歩き回って取引するような物ではないのでは?」
 届いたラーメンをすかさず受け取りながら萌奈が問うと、カウンターに乗っている箸置きから箸を一膳取って哲が渡してくれた。
「色々リサーチしたりするんですよ。取引相手の事とか、会社のことを。たとえば、南野さんはお若いのに結婚されているんだなぁとか……これってセクハラなのかな」
 萌奈は笑って、割り箸を割ろうとしていた自分の手を見下ろし、左手に光る結婚指輪を確認した。
「いえ、セクハラじゃないです。事実結婚している証ですもん。あまり上手くいってないので、付けていないと結婚していることを忘れちゃいそうですよ」
「あー、なんだかすいません」
「え? いいんですよ。会社の人は皆知っていますから。家庭内別居しているんですけど、指輪をしていると利点が多くて……」
 哲は訳知り顔で頷いた。
「美人ですからね」
「いえいえ、そんなぁ……。美人ではないですけど、これをしていると"魔除け"になるんです」
 実際、結婚生活が散々なせいで恋愛は暫くしたくなかったし、不要な誘いをはね除けてくれるのに役立つのだ。まるで印ろうのように結婚指輪をちらつかせると、大抵の男性は誘おうと言う気が失せるらしい。
 「"魔除け"」
 哲は目尻に笑いシワを作って萌奈の言葉を繰り返した。

 なんとなく波長が合うと言うか、一緒に居て居心地が良いと思ったのは萌奈だけではなかったらしい。それから、哲は何かと言うとLINEを送って来るようになり、いつしかそれは通話に変わって、最終的に毎晩二人は電話をするようになっていった。

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