さよならと誓いのキス

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 だが、そういう会話を耳にした以上は知らんぷりできない。ワゴンから箒とちりとりを出して給湯室へ向かおうとしたら肩を掴まれた。振り向けばいつも挨拶をしてくれる社員さんで、口に指を当て『静かに』とジェスチャーをしながら給湯室へ入っていった。

 間近で見た彼は琴乃よりだいぶ背が高く、その手は思ったよりゴツゴツしていた。それに、ウッド系と何かが混ざった、とても良い匂いがした。

 その彼が、給湯室へ足を踏み入れるのと同時に言った。

「自分でこぼした茶葉なら自分で片付けるべきだ」
 突然聞こえた、自分らを咎める声に対して女性社員はすごく不機嫌な返事をしたものの、声の主が誰かを認識したのか猫撫で声に変わった。

「し、柴主任〜、違うんですぅ〜、来たら茶葉が溢れてて〜。掃除のおばさんサボったのかなって〜話してたところなんですぅ」
「そんな嘘は通用しない。君達が掃除スタッフにやらせればいいと言った辺りから会話は聞こえていた」
 上目遣いで、柴を見上げてくる女性社員を睨め付ければ、彼女は負けずに言った。

「主任、盗み聞きなんて趣味悪いですね」
 先ほどまでの猫撫で声とは打って変わって、通用しないとわかると、被っていた猫は放り出し、ドスの利いたかわいげのかけらもない声で応戦し出した。

「中身のない会話は大声でしないほうがいい」
 中身のない、と言われ、返答に詰まり黙る女性たち。やがて給湯室を出て行ってしまったようで、柴の声だけが聞こえてきた。

「あ、掃除はしていけ! おい!」
 彼女たちは何もせず去ってしまったらしい。琴乃が急ぎ給湯室へ戻ると、柴と呼ばれていた男性社員が床の茶葉をかき集めていた。

「柴、さん、私がやります」
 そう言って駆け寄り、先ほど掃除したばかりの床を掃除し直した。その間、柴はずっと給湯室に居た。

「すまない、うちの女性社員が失礼なことを」
「いいえ、お気になさらないでください、これが仕事ですから」
 それじゃあ、と去ろうとした時、腕を掴まれた。強くもなく、かと言って触れる程度の弱さでもなく。

「もし今みたいに社員が失礼な事をした時は僕に連絡をください、対処しますから」
 差し出された名刺を受け取ると、人事課と書いてあった。

 ――柴明秀、さん。

「ありがとう、ございます」
「それから、仕事とはいえ、毎日掃除ありがとう、えっと」
「あ、諏訪原です、諏訪原琴乃と申します。名刺は持ち合わせていなくて……」
「諏訪原琴乃さんだね、覚えた」
 ニッと目を細めて笑顔になった柴は、少年ぽい印象もあった。

「あ、諏訪原さんは既婚者なんだな」
 掃除道具を片付け終えて手袋を取ったところで柴が言った。

「はい、一応」
 答えながら、何となく左手の指輪をクルクルと回した。

「ははっ一応って」
「そういう柴さんも、ですね」
 自身の左手薬指を指で指してから、柴の左手を指した。
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