好きな人の好きな人

第8話

 顔のむくみは何とかごまかせる程度だったけど、直央くんとは顔を合わしにくい。

きっとそんなこと、向こうは一切気にしてないんだろうけど……。

朝の来待ちも、放課後一緒に勉強するようになってから意味あるのかなーとか、「おはよう」の一言のためだけに、こんなに頑張る必要なくない? とか、今までの自分の努力が全部無駄だったってことに、なんとなく気づいてるけど気づきたくない。

「おいっす」

 広太くんだ。

いつも私が直央くんを待っていた柱の陰から顔を出す。

「あぁ、おはよう。どうしたの?」

「一緒に学校行こう」

「う、うん」

 えぇ~っと……。

私はここで、直央くんを待つつもりだったんだけど、そんなこと広太くんは知らないし、そんなことやってたなんて知られるのも昨日の今日でなおさら恥ずかしいし、そもそも私が今日は待ちたくない。

しばらくモジモジしていると、彼の方が先に動き出した。

「ちょ、待ってよ」

 彼の背中を追いかける。

夏が近づき、強さを増してゆく朝の光が視界を照りつける。

広太くんは手をかざし目を細めた。

「暑くなるかなー」

「これからが本番だよね」

 こちらを見下ろして、ふっと微笑む。

直央くんより少し背が高い。

柔らかな茶色い髪が日に透けている。

昨晩のことを謝った方がいいのか、お礼を言った方がいいのか。

だけど彼からは何も言ってこないし、こっちから振るのもなんか違うっていうか恥ずかしいし……。

 もう一度広太くんを見上げる。

一緒に行こうと誘ってくれたわりには、なんにもしゃべらないんだな。

これだとただ偶然に並んで歩いてるだけで、全然友達にもクラスメイトにも見えなさそう。

「昨日は、ゴメンね」

「なにが?」

「電話」

「……」

 返事がない。

そっか、特に興味もなかったよね。

もしかして覚えてもない? 

それもゴメン。

靴箱に着いた。

先に着いた彼はその扉を開ける。

「今日さ……」

 私は自分の靴を拾い上げた。

「放課後、待ってる」

「え?」

「勉強終わったら、一緒に帰ろう」

 階段を上がってゆく彼の背を、呆然と眺めている。

え? どういうこと? 

放課後の直央くんとの勉強は、続けたいんだけどな……。

だって、その繋がりまでなくなってしまったら、本当に私は何でもない「ただのクラスメイト」になってしまう……。

 昼休み、久しぶりに広太くんからゲームのお誘いが入った。

すっかり忘れていた。

広太くんは、ゲーム仲間が欲しかったのかな? 

イベントも何もない時期みたいだけど、よっぽどこのゲームが好きなんだな。

『今日、待ってなくていいよ』

 チャット欄にそう送る。

すぐに返事が返ってきた。

『勉強の邪魔はしないから。終わるまで下で待ってる』

 賑やかな教室の向こう、彼を振り返った。

何でもない素振りでスマホをいじっている。

だから、なんで待つ? 

本気で待ってなくていいんだけど……。

『遅くなっても知らないよ。先帰ってて全然いいから』

 返事が返ってくるよりも先に、チャイムが鳴った。

画面を閉じる。

教室の広太くんを振り返った。

彼は私には見向きもしないで、自分の席へと向かう。

私はその背中にため息をついて、午後からの教科書を広げた。

 放課後を知らせるチャイムが鳴り、すぐにSNSで広太くんに『先帰ってていいよ』と、もう一度メッセージを打つ。

直央くんとの時間を邪魔されたくないってのも、正直なところ。広太くんはすでに教室から出ていた。

廊下の向こうへ消える横顔を見送る。

何考えてるか分かんないけど、私はもう知らないからね。

「あーお待たせ。今日はいっぱい宿題出てるね」

「うん。ちょうどよかった」

「え?」

 そんなに長い間、ここで過ごすのが嬉しい? 

彼はごそごそと机にプリントを並べる。

今日は化学のプリントと漢字テスト、英単語の小テスト対策と、数学の大問が3つある。

学校の宿題って、真面目に一人でやろうと思えば、結構なボリュームがあるよね。

私は彼の前の席を動かそうと、机に手をかけた。

窓の外に、校舎から出てくる広太くんが見える。

そのまま帰ってくれると思っていたのに、本当にいつもの木の下に腰を下ろした。

「全部やって帰れるかな」

「途中で切り上げないといけないかもね」

「うん」

 直央くんの視線が、窓の外へ向いている。

私も後ろを振り返った。

広太くんの元へ、通学用のリュックを背負ったカノジョが駆け寄る。

何かを話していた。

「なんだ、やっぱり付き合ってんだ」

 だとしたら、広太くんが待っているのは千香ちゃん? 

「いや、違うと思うよ。あの二人、仲はいいけど、そんなんじゃないって……」

 直央くんは化学のプリントを広げる。

私はその顔をのぞき込んだ。

「あ、いや。彼女が自分で、そうやって言ってたから……」

 彼の顔は赤くなる。

学校でほとんど顔を合わせてない二人が、どうして? 

いつ連絡取り合ってんの? 

直央くんがスマホを取り出す。

ホーム画面に、あのゲームアプリのアイコンが見えた。

「あ、そのゲーム、私もやってるよ」

「え? そうなの?」

 直央くんに教えてもらってアプリ入れたのに、覚えてないんだ。

私の中で何かの勘が働く。

「それ、千香ちゃんもやってるの?」

「え、本当に?」

 驚いた直央くんの目が、私をみつめる。

「あ、いや。千香ちゃんがやってるから、直央くんもやってるのかなーって……」

「あぁ……。それは違うんだけど……。そっか、じゃあ今度聞いてみようかな……」

「普段、学校じゃしゃべらないけど、連絡とかはしてるんだ」

「スマホでね。そこはしっかり……」

「はは。じゃあやることはやってんだ」

「やることって……。まぁ、できる限りの努力はしてますよ」

 なんだ。

やっぱり、そういうところでちゃんとどっかでは繋がってんだ。

「私も同じゲーム入れたんだけど……」

 そう言うと、彼はそのアプリを起動させた。

「いや、俺も気まぐれで落としただけで、最近はあんまりやってなかったし」

 私もそのアイコンをタップし、起動させる。

「ねぇ、ちょっとだけ今、ゲームやらない?」

 SNSから彼にゲーム内チームへの招待状を送る。

それを開いた彼が言った。

「あぁ。同じチームに登録するのはいいけど、これじゃ一緒にイベントバトルには出られないよ。同じ火属性だから、タッグは組めない」

 アプリを起動させたから、私がゲームを始めたことを知らせる通知が広太くんに飛んで、広太くんのキャラが私のホームに入ってくる。

直央くんがそれに気づいた。

「あれ? 誰コレ。広太?」

 私は窓の外をのぞき込む。

確かに彼は、スマホ画面を見ていた。

『勉強してんじゃないの?』チャット欄にコメントが入る。

「なになに。彩亜ちゃん広太と仲良かったんだ」

 私が火属性で、広太くんが水で、アプリを起動させたとたん、時々手伝ってくれる雷属性の男の子キャラの子が入った。

「なに、本当に好きなんだね。ゲーム仲間だったんだ」

『なんでゲーム? いつもここで待ってて、ゲームで時間潰してたの?』

『お前は来んな』

『なんでよ、こないだのイベントも手伝ってあげたのに』

『つーかなんでチャット? 普通にしゃべれよ』

『普通に話しかけても、あんたが答えないからでしょ』

 私は背後を振り返る。

広太くんの隣にいる、カノジョもスマホを操作していた。

『私、これから部活なんだけど』

『さっさと行け』

『私が抜けたら、3種バトルのタッグが成立しないよ?』

「どうかした?」

 直央くんの声に、ゲームアプリを飛ばした。

「ううん。直央くんと一緒にゲーム出来ないなら、もういいや」

「なにそれ」

 そう言って彼は笑う。

「そりゃ3種類のタッグバトルは出来ないけど、火属性だけの3人でやる人たちもいるし……」

「弱いじゃん」

「まぁね」

「勝てないよね」

「属性的に相手は選ぶよね。イベントとかじゃなくて、普通のレギュラーバトルになるけど」

「あんま意味ないし」

「それで勝つのが楽しいんじゃないの?」

 私は、直央くんと一緒じゃないと意味がないのに……。

「ま、ゲームやってる場合じゃないし」

「それな」

 彼もアプリを閉じた。

私たちは、宿題を済ませなければならない。

彼の視線は窓の外を彷徨う。

「……。広太があのゲームやってんのなら、千香ちゃんもやってんのかな……」

「あんまり、ゲームとかするイメージないよね」

「確かに」

「やってないでしょ」

「……。だといいな……」

 私は化学のプリントを開く。

外で待ってる? 

カノジョも待ってんじゃないの?

「あ……」

 私はようやく、そのことに気づいた。

「ん? どうした?」

「いや。なんでもない」

 アノ子は、広太くんが好きなんだ。

そのことを、直央くんは知ってるんだ。

「今日は帰るの、遅くなりそうだね」

「うん。頑張ろう」

 なんだ。

そうか。

そうだったんだ。

だから直央くんは、ここでカノジョが広太くんを待っているのを、ずっと見てたんだ。

広太くんがいるから、カノジョはここに来て、ここでわざわざフルート吹いて、それを直央くんが……。

だったらそのまま、広太くんがカノジョと付き合ってくれればいいのに……。

「直央くんは、化学得意?」

「まぁ、普通くらいには……」

「私、苦手なんだよね。よかったら教えて」

 彼と向き合う時間を、誰にも邪魔されたくない。

このままずっと、ここに居られればいいのに。

そう思えば思うほど時間はあっという間に過ぎて、完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。

「もう帰らないと」

「そうだね」

 机を戻すタイミングで、下をのぞき込んだ。

木のところには誰もいない。

よかった。

先に帰ったんだ。

ほっと胸をなで下ろす。

これで今日も安心して、直央くんと一緒に駅まで帰れる。

「行こう」

 2人並んで教室を出る。

「ね、コンビニの新作アイス食べた?」

「は? 何それ」

「季節限定のソフトクリーム。前のは逃したって言ってたでしょ」

「あぁ、あれか」

「食べに行こう。ちょっと寄ってみていい?」

「えー……、俺は別に……」

「いいからちょっと付き合ってってば」

 先に靴箱に駆け寄る。

それを約束してくれないと、ここから出られない。

「別にアイスって、そんな食いたいもんでもないし……」

「えー。そこは食べとこうよ。期間限定アイスだよ?」

 ふいに靴箱の影を横切った人影が、直央くんの後ろから顔を出した。

広太くんだ。

「あー。終わった?」

「うわっ、びっくりした。どこに居たの?」

「トイレ。もう帰るでしょ」

 驚いた直央くんも、広太くんに声をかける。

「なんで居んの?」

「いちゃ悪いかよ」

 広太くんは靴を履き替える。

「俺もアイス食う」

 流れのまま3人で外に出る。

広太くんは私の隣に並んだ。

「おべんきょ、終わった?」

「今日の宿題はね」

「夜電話する。後で教えて」

「あー!」

 突然の大きな声に振り返る。

「なにしてんの?」

 カノジョだ。

長い黒髪が揺れる。

「待ってくれてたんじゃないの?」

 その手は、広太くんの腕に触れた。

「一緒に帰るんだと思ってた」

「は?」

 広太くんは眉をしかめる。

幼なじみだという二人の距離感が、何となく私をそこから遠ざける。

二人は言い争いをしているつもりなのかもしれないけど、外から見るとカップルがいちゃついてるようにしか見えない。

ふと見上げた直央くんの視線は、じっとカノジョに注がれていた。

「あ、私、やっぱり先帰るね」

 こんなところになんて、居られない。

「じゃ、お先に……」

「俺も帰る」

 そう言ったのは、直央くんだった。

じっと私を見下ろす。

「一緒に帰ろう」

「う、うん」

 その言葉に、並んで歩き出す。

私は直央くんに連れられて、校門を出た。

「あの二人、仲いいもんね。ちょっと入りにくいよね」

 直央くんの足取りは、私が追いつけないほど速くって、その横顔を見上げることも出来ない。

「あぁいうの、他の人がいるところではやめて欲しいよね。迷惑っていうか、一緒にいる方もどうしていいのか反応に困るし……」

「ゴメン。先、帰るね」

「う、うん。また明日……」

 彼の歩くスピードは私と並んでいても変わることはない。

赤く染まり始めた空に、彼の背がぐんぐん遠ざかっていく。

置いていかれた私は自然に涙があふれてきて、頬を流れるそれを拭った。

それでも彼の視界に入りたくて、意識して欲しくて、こんなに頑張ってるのに。

フラれたのに、まだ大好きなんだね。

そんなに好きな人がいるんだったら、もう絶対私なんてムリだ。

疲れる。

こんなにしんどくて辛い思いをするなら、もう好きな人なんて……。

「いた!」

 大きな声に振り返る。

広太くんだ。

「なに? 俺が来るの待っててくれたの?」

 彼は嬉しそうに隣に並ぶ。

「待ってない……」

「アイス食いたかったんだろ? 行こうぜ」

「だから、待ってないって……」

「俺は待ってるって言ったよ」

 彼はニッと笑った。

「アイス食ってゲーセン行こうぜ」

「……。もう遅いから帰る……」

「あはははは。真面目かよ」

 それでも広太くんは、やたら嬉しそうだった。

「じゃ、アイス食って帰ろ」

 正直に言うと、私だってそんなにアイスが食べたかったわけじゃない。

ただ直央くんと、少しでも同じ時間を共有したかっただけ。

コンビニに入って、おごるって言ってくれたけど、おごられる義理もないので自分でお金を出す。

店のイートインカウンターが空いていたので、そこに並んで座った。

 座ってみると椅子は固定されていて、隣といっても近いようで遠くて、放っておくと溶けちゃうアイスクリームは、すぐに食べなくちゃいけなくて、何を話そうかなんて、話題を探す暇も余裕もない。

じっと白い壁を見ながらマンゴーアイスを食べていて、横目にチラリと確認すると、彼も壁を見ながら同じアイスを食べていて、なんでこの時間にこんな状況に自分が今いるのかが、とっても不思議でやりきれない。

広太くんの方が先にバリバリとコーンをかじり始めて、すぐに食べ終えてしまった。

彼は頬杖をつき、じっとこっちを見ている。

それに気づいているけど気づかないフリをして、急いで冷たいアイスを食べ終えた。

「終わった?」

「うん」

 私は彼の方を見られなくて、コーンに巻き付いていた紙を小さく折りたたむ。

「帰ろっか」

 コンビニのドアを誰かに開けてもらって、外に出るのなんて久しぶり。

すっかり暗くなってしまった歩き慣れた道を、ぎこちない足取りで歩く。

ずっと何も話さないまま駅まで来てしまった。

やっぱり無言のまま改札をくぐる。

「じゃ」

「またね」

 同じ車線でありながら、私とは反対の階段からホームへ上ってゆく彼の背を見ながら、夜に電話がかかってくるのかなーなんて、ちょっと思ったりなんかしたけど、その日、彼からの電話にスマホ画面が光ることはなかった。
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