たとえ運命の番だと告げることが許されなくても、貴方の側に置いてください……
「本当にやるのか?」

 涼介の胸でさんざん泣いたひまりは兄に自分の願いを口にした。

「助けてくれるんでしょう?」

 まだ落ち着かない声音で聞けば痛ましそうに涼介はひまりを抱きしめた。

 ひまりが涼介に頼んだのは和臣の側を離れたいと言うこと。

 和臣はオメガ遊びをしながらも、いつ『運命の番』に出会うかと恐怖しているように感じだ。

 次第に堕ちていく和臣の姿をこれ以上見ているのはひまりには出来そうになかった。

 ならいっそ自分の正体を告げて、二度と会うことがない場所に消えようと決意した。

 涼介は現状を理解していたのかもしれない、いつかひまりが耐えきれなくなることも。

 ただ小さく「わかった……」と告げて優しくひまりを抱きしめてくれた。

 そしてひまりを逃がす手伝いもしてくれると請け負う。

 ひまりは仕事を続けながら住んでいた部屋を引き払い最低限の必要な物だけを持ってホテルに引っ越した。

 手元にあるのはパスポートと強制的に発情期を起こすための薬。

 これはもともとフェロモン障害を患った際に不定期になってしまった発情期を改善するために処方された物だった。

 そして涼介が手配してくれた海外行の飛行機のチケットと滞在先となる住所だ。

 ホテルをチェックアウトして搭乗予定の空港のコインロッカーに荷物を預ける。

 既に辞表は涼介に預けてあるし、和臣の許可はないが内密に側近に仕事も引き継ぎを済ませてある。

 スマートフォンに和臣の居場所を記す情報が涼介から送られてきた。

 どうやら和臣は既に自宅に帰っているらしい。

 通い慣れた高層ビルへ入り、和臣に大切な話があると伝えれば、あっさりと部屋へと通された。

「どうしたこんな時間に」

 こちらを見もしない和臣の背中を見るのも今日で最後だ。

「藤堂?」

 なんの反応もないひまりを不審に思ったのだろう。

 ひまりは即効性のあるドリンク状の発情期誘発剤を一気に煽った。

 これは一時的に短時間で無理やり発情期を引き起こすための物だ。

 火照る身体で和臣にすがりつけば、むりやり高められたオメガフェロモンが濃縮されて和臣のアルファの本能に火をつけた。 

 きっと和臣はひまりが『運命の番』だと理解しただろう。

 愛ゆえの行為とは言えない本能に任せた交わり。

 翌朝、部屋には和臣の姿はなくなっていた。

 ひまりにとって和臣が居ないのは好都合だったため、直ぐに衣服を身に着けビルを抜け出し、タクシーを捕まえて空港へ向かった。
 
 登場案内に従って飛行機に乗り込むと、それまでの疲労がどっと押し寄せてくる。

 窓際の席だった事もあり離陸して間もなく眼下には先程まで過した和臣の自宅がある高層ビルが見え、ひまりは窓ガラスに手をついた。

「さようなら……」

 祖国と愛する『運命の番』に別れを告げる。

 ひまりが飛行機に乗っている頃、和臣はパニックを起こしていた。

 ひまりが『運命の番』だった事実に混乱していたこともあるが、涼介から手渡された辞表を確認したことで、困惑する側近達が引き止める間もなく自宅へ帰ると会社を飛び出してしまったのだ。

「藤堂!」

 ひまりが寝ていた部屋には既に誰もおらず、自宅全てを捜したがついに姿を見つけることはできなかった。

 側近のひとりをひまりの借り受けていた自宅へ走らせるも既にもぬけの殻。

 この短時間でいったいどこに行けると言うのか、必死に記憶を探りひまりの行きそうな場所を考えようとしたが、一向に思いつかない。

「藤堂……」

 思い浮かぶのは静かに微笑むひまりの姿。

 涼介に連れられて彼の部下として働くと紹介されたとき、ひまりが優秀な人材だと聞かされて和臣は涼介に無理を言ってひまりを私設秘書に引き抜いた。

 ひまりはおとなしい性格なのか、必要な会話はするものの、あまり自分の事を語ろうとはしない。

 和臣の意識を自らに向けさせようと必死にアピールしてくるオメガやベータ達と違う反応に興味が湧いた事もある。

 仕事中も邪魔したりすることはなく、喉が乾いたなと思い始めた時に、スッとさり気なくお茶や珈琲を出してくれたこともあった。

 思い返せば和臣がアルファの側近以外で自ら近くに寄ることを許したのはひまりとアキだけだった。

「……涼介?」

 ひまりを和臣に会わせたのは涼介だ。

 不意に涼介に抱きしめられたひまりの姿を思い出し、強い苛立ちを覚える。
  
 仲睦まじげに見えた涼介ならひまりの居場所を知っているのではないだろか?

 時計を見れば涼介はまだ仕事中であるはずだ。

 急ぎ会社へ取って返し、他の側近たちを無視して涼介の仕事部屋へ向かう。

 扉を開けて中に入ると、涼介の姿を見るなり和臣は涼介のスーツの胸元に掴みかかった。

「涼介! 藤堂は、ひまりはどこだ!」

「いきなりなんなんだ」

「お前はひまりを抱きしめていた! それに俺にひまりを引き会わせたのもお前だ!」

 目を血走らせて詰め寄る和臣の様子に涼介は心の中で舌打ちした。

「だからどうした? 藤堂は辞表を提出している、今更彼女がどこで何をしようが彼女の自由だ、例えば誰かと番になろうともな」

 涼介の挑発に煽られて和臣はますます激昂していく。

「ふざけるな!」

「ふざけてるのはどっちだよ……彼女はお前となんの関係もない!」

「あいつは、ひまりは俺の『運命の番』だ」

「はっ、今更『運命の番』だと? それこそふざけてるよな、ひまりは何年お前の側に居たとおもってやがる! その間ひまりには気が付きもしないで、他のオメガに夢中の『運命の番』の側に居続けたひまりの苦しみがお前にわかるか!」

 涼介は自分に助けを求めてきたひまりの窶れた姿を思い出す。

「俺はひまりから『運命の番』がお前だと聞かされていた」

 涼介は自身の言葉に信じられないと目を見開く和臣の両手を背広から引き剥がす。

「俺がお前に何も告げなかったのはひまりの意志を尊重したからだ。 お前が自分で『運命の番』に気が付くまでは自分からは告げるつもりはないと言っていたからな」

 何年も側に置きながら気が付けなかった和臣は自身の不甲斐なさに吐き気を覚える。

 アキと彼女の運命の番が謝罪に来た夜に自分が吐き出した暴言を思い出し、自己嫌悪に陥った。

「『運命の番』に出会ったら俺は意志を乗っ取られるのか? どんな呪いだよ……正直考えたくもないな『運命の番』になんて一生出会いたくない」

 その言葉は後悔したところでなかった事にはならない。

 自らの唯一に対して和臣は『運命の番』の存在を全否定したのだから。

「なんでそんなに彼女について詳しいんだ、やっぱり付き合っていたのか?」

 和臣の問に処置なしと言わんばかり額に手を添えて頭を横に振って見せる。

「それこそあり得ない妹相手に懸想なんてするわけ無いだろうが」

 涼介の呆れたと言わんばかりの態度も気に食わなかったがそれよりも和臣は気になる単語を聞き取った。

「妹? お前に妹が居たのか?」

「あぁ、ひまりは自分の意志で福原家から母親の実家である藤堂家に養子に出た」
  
「ひまりは幼い時に掛かった流行り病でオメガフェロモンに不具合が出たからな、オメガとしての幸せを諦めちまった」

「しかもやっと見つけた『運命の番』には気が付いて貰えないし、結婚式での一件で自暴自棄になったお前はひまりに何をした?」

 力強く握りしめた手から血の気が引いていく。

「そんなお前が今更『運命の番』ヅラするのかよ。 俺の妹を馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!」

 力なくうつむいた和臣の胸ぐらを掴み、涼介は吐き捨てた。

 もう前のような関係には戻ることは難しい。

「俺はひまりの意志を尊重する。 もし滞在場所を知っていたとしても、お前にだけはぜってぇ教えねぇ! わかったか!」

 そう吐き捨てると和臣は見るからに項垂れた。

「ひまりに会いたければ自分で捜せ、福原家は協力しない」

 福原家の当主は性格が悪いので有名だ。  

 家族以外に容赦がない。

 娘を溺愛していたのかもしれない福原家の当主なら『運命の番』を見つけ出せなかった和臣のひまり捜索に妨害に入る可能性が極めて高い。 

 案の定、妨害に入られひまり捜索は困難を極めた。

 和臣は必死にひまりを捜したが、国内でひまりを見つけ出すことは出来なかった。

 そんな和臣の必死な姿に、涼介は妹の姿を思い出す。

「少しくらい後悔させてやれひまり」

 和臣が自分の『運命の番』に気が付けなかった事実を涼介から聞き、不満を持っていたひまりの父だけでなく養子先である藤堂家の妨害工作にも翻弄され、和臣がひまりの居所を発見したのはそれから三年あまりたったある日の事だった。

 
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