紫陽花
松村と2人で歩いている。半ば無理矢理会社を休ませてしまった。どうしても放っておかなかった。警察と話している時の彼女は気丈に振る舞っていたが、時々声や手が震えていた。あの男、許せない。理性が無いやつは人間ではない。社会のゴミだ。
松村の気分転換をしたかった。嫌な事を少しでも忘れて、楽しい気分になって欲しい。あんな彼女はもう見たくない。俺が守る。
いや、松村には彼氏がいるから俺が守る必要も無いのか。少し悔しいような、寂しいような気持ちになった。なんだこの気持ちは。
松村と2人でカフェに行くのすら緊張してしまった。猫舌がバレるしカッコ悪いじゃないか。
勢いで遊園地を候補に上げた事を思い出し少し恥ずかしくなる。なんでよりによって遊園地なんだ。歳上の余裕を見せろ。
冷静沈着と言われるが松村と一緒にいるとなんだかペースが乱れる。
「部長ー!ここのベンチで休憩しませんか?」松村がニコニコしながら呼んでくれた。「あぁ。」公園のベンチにゆっくり座るのなんて久しぶりだ。しかも隣には松村がいる。「今日はいい天気ですね」松村が空を見上げながら言う。俺も見てみよう。雲一つない青空だった。「久しぶりに空を見た気がする。綺麗だな。」空を見上げたまま言うと、「あまり見ないんですか?私は良く見ますよ。晴れる日もあれば雨の日もある。人生そのものですよ」と松村が楽しそうに言う。「確かにな。上手く行く日もあれば、思うようにいかない日もある。」と言うと松村は嬉しそうに「わかってくれますか!?空が好き。人生みたいじゃん。って言うとみんな『何そのありがちなセリフ』って少しバカにされるんですよね」「ありがちというのは悪いことじゃないだろう。定番とも言い換えられるが、万人ウケをしてそれを古くから飽きられずに残っていると言う事だぞ。うちのプレゼン方式だってそうじゃないか。ありきたりで定番で、わかりやすい。」つい仕事モードに入ってしまった。松村は真剣な顔で「そうですよね」と相槌を打ってくれている。
「松村は日焼けとか気にしないのか?屋根がある所に行こうか」と話を逸らした。「一応気にはしているのですが…天気は良いし風も気持ちいいし、外に居ないと勿体ないなと思っちゃうんです」「そうか。」確かにな。こんなに良い天気なのに勿体ないかもしれない。
妻は日焼けをいつも気にしていた。外に出る時は日傘を使い、極力太陽の光を浴びないようにしていた。初めてのデートの時にテラス席を予約していたのだが、先に通されるとすぐに「日に焼けちゃうから室内が良い」と言われた事を思い出していた。
「…部長の奥様は日焼けとか気にするんですか?というか、美意識高い方は気にして当然ですよね。お弁当もいつもとっても美味しそうですし。」少し沈んだ声で言われた。
「あぁ。気にしてるな。でも、お弁当が美味しそうなのと日焼けは何の関係もないだろう」「ありますよ!美容とか栄養素のバランスを考えて作ってるっていう事です!」美容?そんなことは考えてない。「美容は考えてない」ハッキリ言う。「考えてますって絶対!部長が気付いてないだけで奥さん頑張って作ってるんですよ!」松村が珍しく強い口調で捲し立ててきた。なにを言ってるんだこいつは。もしかして勘違いしているのか。「…奥さんが頑張って作ってる??いや、作ってるのは俺だ。」「え!?村上部長が自分で作ってるのですか!?!?」松村は急に立ち上がり、目を丸くしながらこっちを見てくる。漫画のようなオーバーリアクションで面白い。思わず「っはは」と声を出して笑ってしまった。松村が恥ずかしいそうにはにかみながら座る。「あの美味しそうなお弁当を部長が作っていたなんて…驚いてしまって…いつも美味しそうだな、食べたいなと思っていたんですよ」「じゃあ、今俺が作った弁当を食うか?」美味しそうと言われて嬉しくなったので聞いてみた。「良いんですか!?あ、でも…」喜んだと思ったらまた沈んだ顔。コロコロ変わる表情も可愛いな思いつつ「でも?」と聞くと申し訳なさそうに「私もお弁当持ってきているので…自分のを食べます。」と残念そうに言った。
そうだったのか。松村はいつも同僚達と社食に行っていたので、てっきり買っているのかと思っていた。
「それを俺が食べる。交換しよう」と提案してみた。松村の手作り。食べたい。
「えぇ!?恥ずかしいです!!こんな適当に作ったのを他人に、ましてや部長には食べされられません!!」と首を横に振った。「良いから。」と言いながら自分のお弁当を鞄から出し、松村に渡した。「えぇ…食べたいですが」迷っている様子だ。食べてほしい。「食べれば良いだろう」「でも…」「早くしろ。この天気だと痛むのが早い。」早く食べたい。「は、はいどうぞ…」差し出されたお弁当には可愛いウサギが描かれていた。サンリオのキャラクターだったか?すぐに蓋を開ける。
トマトやブロッコリー、卵焼きにソーセージ、それに‥「うまそうだな。これは青椒肉絲か?」恥ずかしそうに「昨日の夕飯の残りです…」と言った。手を合わせて、「いただきます」と言ってからまず卵焼きを口にする。これが松村の作った卵焼き。「うん、上手い。」本音が出た。「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!!!」嬉しそうにしている。俺のも食べてほしい。「俺のも食べてみてくれ。」「はい!いただきます!」松村も手を合わせてブロッコリーを口に入れる。入れた瞬間「美味しい!!」と目を見開いて言う。「まだブロッコリー食べただけだろ」面白い。「ドレッシングの量が絶妙なんです!」と笑顔で言う。松村の笑顔は眩しい。この天気と同じ雲一つない晴れ渡った空のような笑顔だ。綺麗だ。
「そうか。」一口食べるたびに美味しいです!と報告してくれる。松村が俺の作ったお弁当をおいしいと言いながら笑顔で食べてくれている。愛おしさが込み上げてきた。「可愛いな。」口から言葉が飛び出した。
松村がビクッとして咳き込み、耳まで真っ赤になる。「な、なに言ってるんですか!!!」「そこの自販機で飲み物買ってくるから待ってろ」というと急いで立ち上がった。松村の言う通りだ。俺は何を言っているんだろう。思った事をそのまま口に出してしまった。言われた松村も驚いたと思うが、自分自身も驚きを隠せなかった。一旦冷静になろう。今日の俺は少しおかしい。
部長に可愛いって言われちゃった…部長がこっちを見てないのを良い事に足をバタバタさせる。パンプスが脱げてしまった。慌てて履き直す。ちょっとはしゃぎすぎてるかも。
憧れ部長と平日の昼間から公園でピクニックなんて幸せすぎる。嫌だったけど、痴漢にも少し感謝してしまった。この美味しくて綺麗なお弁当、部長が作ってたんだ…
奥さんお料理苦手なのかな?少し勝ったような良い気分になったが、すぐ己の性格の悪さを反省した。いや、部長は奥さんの事が大好きだから作ってあげているのかもしれないし、節約してるのかもしれない。私の方が料理上手いかもなんて思っちゃいけない。
味わって食べようとしていたが、美味しくてどんどん食べてしまった。「お茶で良かったか?」ペットボトルを渡される。「あ、ありがとうございます。」部長も隣でお茶を飲んで一息ついていた。「質問良いですか?」「なんだ、言ってみろ」「部長の奥さんはお料理しないんですか?」「…する事もあるが。妻は料理が下手なんだ。俺は料理するのが好きだから妻の分も作ってる」料理が下手だと聞いた時は心の中でガッツポーズをしたが、妻の分も作っていると聞いて一気に気持ちが落ち込んだ。やっぱり奥さんの事愛してるんだ。当たり前だよね。
「料理は好きだが、自分で作ったものを自分で食べるのは味気なくてな」とぽつりと部長が言った。「じゃあ、これから私と毎日お弁当交換しませんか?」突拍子もない提案をしてしまったかと思ったが部長はすんなり承諾してくれた。
みんなには内緒の秘密の関係。
これから部長のために毎日お弁当を作るのは気を遣って苦労するかもしれない。でも、それよりも部長が私の作ったお弁当を食べてくれる事、秘密の共有が嬉しくて楽しみでしょうがなかった。
談笑しているとあっという間に上映時間が近づいてきた。「そろそろ行くか」と部長の一声で2人一斉に立ち上がった。歩いていると紫陽花が目に止まった。「部長!見てください!綺麗な紫陽花ですねこっちはピンクであっちは青です。」「いつもは見過ごしているが意識して見ると綺麗だな。土壌がアルカリ性の時はピンクになるんだろ。」部長は物知りだ。「そうだったんですね!初めて知りました。」綺麗な紫陽花。ピンクと青が交互に花壇に並んで咲いている。紫陽花を見るたびに部長を思い出すだろう。部長と仕事を休んでデートした事を一生忘れない。
なんとなく花言葉が気になり手に持っていたスマホで調べると…驚いた。胸にグサリと二文字が突き刺さり心をえぐる。花言葉を話題に出さなくて良かった。もしかしたら部長は知っていたのかもしれない。2人が今考えたく無い、聞きたくも無い言葉だった。
最初映画館に入った時は部長と並んで隣に座って映画を見るなんて完全にデートだとはしゃいでいたが、段々と映画のストーリーに没入してしまった。そしてラストは感動しすぎてボロボロに泣いてしまった。本当に良い内容だったが部長と一緒の時に見なきゃ良かった。泣き顔も酷いだろうし、化粧が落ちて汚いかもしれない。ポーチの中から鏡を取り出しチェックするがよく見えない。エンドロールの時に部長に顔を近づけて「お手洗い行ってくるのでロビーで待っててください」と耳打ちした。自分で顔を近づけておいて、ドキドキしてしまった。
お手洗いで顔を確認する。うわぁ酷い顔…
素早くできる限り化粧を直す。部長を待たせる訳にはいかないので、目の下についてしまったアイラインやマスカラ、アイシャドウを落とし、最後にパウダーをはたく。地味な顔が更に地味になってしまったが、しょうがない。急いでロビーに戻ると部長が座ってPCをチェックしていた。私のせいで休ませてしまったからだ…慌てて側に行く。「部長、お待たせしてすいません!!」「早かったな」と言いながらPCをしまう部長。「あ、あの仕事大丈夫ですかね…、、今から出社します?」「何を言っているんだ。休むと連絡しただろ。何か困った事が起きてないか確認しただけだ。」「すみません…」「謝らなくて良い。」優しく微笑んでくれた部長を見ると胸が苦しい。恋愛映画を観た後のせいか、もう自分の気持ちを伝えたくてしょうがない。でもダメだ。この人は既婚者なのだから。抑えないと。
「次はどこ行こうか」「うーーん。百貨店とか行きますか?私、化粧品を見たくて」「この近くの百貨店だと高島屋か…」少し嫌そうな顔をしている。「すみません、嫌ですよね?男の人はウインドウショッピングとかしないですよね?」「いや、そうでは無いのだが…」はじめての煮え切らない態度にこれは何かあるなと察した。話を変えよう。「じゃあ、海が見たいです!私の家の近くなんですけど」「…いいのか」と困惑しながら確認してきた。なぜ少し困っているのだろう。「もちろんです!行きましょう」歩きながらなぜ部長はなぜ少し困っているのか考えた。良く考えると、さっきの言い方だと家に誘っていると思われてもしょうがない。いや、違うんです部長、そんな下心というか、、貴方を家に呼ぶなんて畏れ多いです。
「大丈夫か?」声をかけられ我に帰る。「いえ、海楽しみだな〜と思いまして」「それなら良いが…電車乗れるか?嫌ならタクシー使うが」「何言ってるんですか!勿体ないですよ!」「いや、それなら良いんだ」ここから私の家の近くまでは結構距離がある。なんでタクシー…と思った時、部長の優しさに気付いた。そっか朝の痴漢の事をトラウマになってないか心配してくれてたんだ。思わず「ありがとうございます」と口から出た。「すみませんと言われるより、そっちの方が良いな」と少し口角を上げて言ってくれた。
電車は空いていたので2人で並んで座った。さすが平日の昼間だ。「空いてるな」部長も同じ意見だ。「いつもこれくらい空いてれば良いですよね」「俺は5駅だから耐えられるが、松村は急行で8駅だよな」「なんで知ってるんですか?」「部下の家の最寄りくらい覚えてる。柴田は7駅だろ。」と急に拓実の話をされて思わず「あ、忘れてた」と言ってしまった。部長が少し嬉しそうな顔をしたのは気のせいだろうか。スマホを取り出し、LINEを確認する案の定拓実から4件メッセージが来ていた。
〈昨日はしつこくしてごめん〉
〈体調悪いの?〉
〈大丈夫?〉
〈お見舞い行こうか〉
正直いって拓実の存在をすっかり忘れていた。「心配ありがとう。大丈夫だよ。」と送るとすぐにスマホをしまった。
最寄り駅に着いた。海はここから歩いて20分くらいかかる。「タクシー乗りますか?」と聞くと「歩いていこう。サンセットの時間にちょうどいい」2人で歩き始める。
当たり障り無い話をしていたが、ついつい部長を質問攻めにしてしまう。2人でゆっくり話せる時間なんてもう二度と無いだろうと思うと帰る前に色々聞きたくなってしまう。
好きな食べ物は何ですか。誕生日はいつですか。そして、奥さんとのなれそめ。「妻とは…この時代にと驚かれるかもしれないが、ほぼ政略結婚ようなものだ。俺の父親と妻の父親は仲良くてな。妻の事は幼い頃から知っていた。会社の合併に伴い、結婚するよう父から頼まれたんだ。」部長が遠くを見ながら言う。「奥さんのこと、愛していますか?」質問した瞬間、何て事を聞いてしまったのかと自分にひいた。部長は「…分からない。幼い頃から遊んでいたから、正直妹に近いのかもしれない。家族愛としてなら愛してるだろう。」「そうなんですか…」
素直に愛してると言われた方がどれだけ良かっただろう。そうしたら憧れの部長は奥さんと仲良しなんだ、良い家庭を築くんだろうな、なんて思って終わりだっかもしれない。そんな曖昧な事を言われたら、、少しでも自分にも可能性があるのではないかと期待してしまう。「この間、田中先輩が部長の事カッコいいって話してましたよ。どうですか?」口が止まらない。「…あぁ。なんか言われたが…俺は結婚しているからな。」胸をナイフで刺されたかのような衝撃が走った。そうか…奥さんを愛してるとか、社内1の美人に告白されたとかそんな事は部長には関係無いのか。結婚しているから。その一言が全てを表していた。もう私の想いは届かないのだ。
日が落ちてきた。太陽が水平線に沈み込む。部長が「綺麗だな」と呟いた。オレンジ色に照らされたあなたの方が綺麗ですよ。横顔を見ながら胸が締め付けられる。「話戻りますけど、、もし、、もし私が部長の事好きって言ったらどうしますか?って迷惑ですよね!」聞きたくて堪らないことを口に出した。真剣に聞こうかと思ったが最後は冗談ぽくなってしまった。だってふざけて聞いた方が、拒否された時に傷付かず済むから。
部長が何か一言言った時に丁度歩行者の笑い声が被さり、聞こえなかった。「え?なんて言いました?」聞き直すとまっすぐ海を見つめたまま「嬉しい。松村が好きって言ってくれたら、嬉しい。」と答えた。
!?!?う、嬉しい!?!?
美咲がうろたえたのを察知したのか、
「そろそろ帰るか。」部長が立ち上がる。
2人で歩いて来た道を戻る。
さっきの答えについてもっと詳しく聞きたい気もしたが突っ込めなかった。嬉しいと言われたその一言で充分幸せだった。
お弁当の具は何が好きとか、そんな話をしていると駅に着いた。「今日は本当にありがとうございました。」お礼を言うと「俺も息抜きしたかったんだ。こちらこそありがとう。楽しかった」とサラッと言うと部長が改札に向かっていく。我慢できず「部長!」呼び止めてしまった。
立ち止まり振り返ってくれる。「なんだ?」「ラ、LINE交換してくれませんか??」断れること前提で聞いてみた。「そうだな。」とあっさり部長が差し出してくれたQRコードを読み込む。アイコンは海の写真だった。追加してスタンプを送る。キャラクターのイラストで吹き出しにはthank youと書かれている。子供っぽかったかな、失礼だったかなと思っていると、同じキャラクターのイラストでOKと吹き出しに書かれているスタンプが送られてきた。え!?部長もキャラクター!?と驚いていると「また明日な」と歩いていってしまった。もう、、全てがツボすぎる。やっぱり好き。部長の全てを知りたいし、部長が欲しい。部長が見えなくなった後も改札をぼーっと見つめ続けた。
松村の気分転換をしたかった。嫌な事を少しでも忘れて、楽しい気分になって欲しい。あんな彼女はもう見たくない。俺が守る。
いや、松村には彼氏がいるから俺が守る必要も無いのか。少し悔しいような、寂しいような気持ちになった。なんだこの気持ちは。
松村と2人でカフェに行くのすら緊張してしまった。猫舌がバレるしカッコ悪いじゃないか。
勢いで遊園地を候補に上げた事を思い出し少し恥ずかしくなる。なんでよりによって遊園地なんだ。歳上の余裕を見せろ。
冷静沈着と言われるが松村と一緒にいるとなんだかペースが乱れる。
「部長ー!ここのベンチで休憩しませんか?」松村がニコニコしながら呼んでくれた。「あぁ。」公園のベンチにゆっくり座るのなんて久しぶりだ。しかも隣には松村がいる。「今日はいい天気ですね」松村が空を見上げながら言う。俺も見てみよう。雲一つない青空だった。「久しぶりに空を見た気がする。綺麗だな。」空を見上げたまま言うと、「あまり見ないんですか?私は良く見ますよ。晴れる日もあれば雨の日もある。人生そのものですよ」と松村が楽しそうに言う。「確かにな。上手く行く日もあれば、思うようにいかない日もある。」と言うと松村は嬉しそうに「わかってくれますか!?空が好き。人生みたいじゃん。って言うとみんな『何そのありがちなセリフ』って少しバカにされるんですよね」「ありがちというのは悪いことじゃないだろう。定番とも言い換えられるが、万人ウケをしてそれを古くから飽きられずに残っていると言う事だぞ。うちのプレゼン方式だってそうじゃないか。ありきたりで定番で、わかりやすい。」つい仕事モードに入ってしまった。松村は真剣な顔で「そうですよね」と相槌を打ってくれている。
「松村は日焼けとか気にしないのか?屋根がある所に行こうか」と話を逸らした。「一応気にはしているのですが…天気は良いし風も気持ちいいし、外に居ないと勿体ないなと思っちゃうんです」「そうか。」確かにな。こんなに良い天気なのに勿体ないかもしれない。
妻は日焼けをいつも気にしていた。外に出る時は日傘を使い、極力太陽の光を浴びないようにしていた。初めてのデートの時にテラス席を予約していたのだが、先に通されるとすぐに「日に焼けちゃうから室内が良い」と言われた事を思い出していた。
「…部長の奥様は日焼けとか気にするんですか?というか、美意識高い方は気にして当然ですよね。お弁当もいつもとっても美味しそうですし。」少し沈んだ声で言われた。
「あぁ。気にしてるな。でも、お弁当が美味しそうなのと日焼けは何の関係もないだろう」「ありますよ!美容とか栄養素のバランスを考えて作ってるっていう事です!」美容?そんなことは考えてない。「美容は考えてない」ハッキリ言う。「考えてますって絶対!部長が気付いてないだけで奥さん頑張って作ってるんですよ!」松村が珍しく強い口調で捲し立ててきた。なにを言ってるんだこいつは。もしかして勘違いしているのか。「…奥さんが頑張って作ってる??いや、作ってるのは俺だ。」「え!?村上部長が自分で作ってるのですか!?!?」松村は急に立ち上がり、目を丸くしながらこっちを見てくる。漫画のようなオーバーリアクションで面白い。思わず「っはは」と声を出して笑ってしまった。松村が恥ずかしいそうにはにかみながら座る。「あの美味しそうなお弁当を部長が作っていたなんて…驚いてしまって…いつも美味しそうだな、食べたいなと思っていたんですよ」「じゃあ、今俺が作った弁当を食うか?」美味しそうと言われて嬉しくなったので聞いてみた。「良いんですか!?あ、でも…」喜んだと思ったらまた沈んだ顔。コロコロ変わる表情も可愛いな思いつつ「でも?」と聞くと申し訳なさそうに「私もお弁当持ってきているので…自分のを食べます。」と残念そうに言った。
そうだったのか。松村はいつも同僚達と社食に行っていたので、てっきり買っているのかと思っていた。
「それを俺が食べる。交換しよう」と提案してみた。松村の手作り。食べたい。
「えぇ!?恥ずかしいです!!こんな適当に作ったのを他人に、ましてや部長には食べされられません!!」と首を横に振った。「良いから。」と言いながら自分のお弁当を鞄から出し、松村に渡した。「えぇ…食べたいですが」迷っている様子だ。食べてほしい。「食べれば良いだろう」「でも…」「早くしろ。この天気だと痛むのが早い。」早く食べたい。「は、はいどうぞ…」差し出されたお弁当には可愛いウサギが描かれていた。サンリオのキャラクターだったか?すぐに蓋を開ける。
トマトやブロッコリー、卵焼きにソーセージ、それに‥「うまそうだな。これは青椒肉絲か?」恥ずかしそうに「昨日の夕飯の残りです…」と言った。手を合わせて、「いただきます」と言ってからまず卵焼きを口にする。これが松村の作った卵焼き。「うん、上手い。」本音が出た。「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!!!」嬉しそうにしている。俺のも食べてほしい。「俺のも食べてみてくれ。」「はい!いただきます!」松村も手を合わせてブロッコリーを口に入れる。入れた瞬間「美味しい!!」と目を見開いて言う。「まだブロッコリー食べただけだろ」面白い。「ドレッシングの量が絶妙なんです!」と笑顔で言う。松村の笑顔は眩しい。この天気と同じ雲一つない晴れ渡った空のような笑顔だ。綺麗だ。
「そうか。」一口食べるたびに美味しいです!と報告してくれる。松村が俺の作ったお弁当をおいしいと言いながら笑顔で食べてくれている。愛おしさが込み上げてきた。「可愛いな。」口から言葉が飛び出した。
松村がビクッとして咳き込み、耳まで真っ赤になる。「な、なに言ってるんですか!!!」「そこの自販機で飲み物買ってくるから待ってろ」というと急いで立ち上がった。松村の言う通りだ。俺は何を言っているんだろう。思った事をそのまま口に出してしまった。言われた松村も驚いたと思うが、自分自身も驚きを隠せなかった。一旦冷静になろう。今日の俺は少しおかしい。
部長に可愛いって言われちゃった…部長がこっちを見てないのを良い事に足をバタバタさせる。パンプスが脱げてしまった。慌てて履き直す。ちょっとはしゃぎすぎてるかも。
憧れ部長と平日の昼間から公園でピクニックなんて幸せすぎる。嫌だったけど、痴漢にも少し感謝してしまった。この美味しくて綺麗なお弁当、部長が作ってたんだ…
奥さんお料理苦手なのかな?少し勝ったような良い気分になったが、すぐ己の性格の悪さを反省した。いや、部長は奥さんの事が大好きだから作ってあげているのかもしれないし、節約してるのかもしれない。私の方が料理上手いかもなんて思っちゃいけない。
味わって食べようとしていたが、美味しくてどんどん食べてしまった。「お茶で良かったか?」ペットボトルを渡される。「あ、ありがとうございます。」部長も隣でお茶を飲んで一息ついていた。「質問良いですか?」「なんだ、言ってみろ」「部長の奥さんはお料理しないんですか?」「…する事もあるが。妻は料理が下手なんだ。俺は料理するのが好きだから妻の分も作ってる」料理が下手だと聞いた時は心の中でガッツポーズをしたが、妻の分も作っていると聞いて一気に気持ちが落ち込んだ。やっぱり奥さんの事愛してるんだ。当たり前だよね。
「料理は好きだが、自分で作ったものを自分で食べるのは味気なくてな」とぽつりと部長が言った。「じゃあ、これから私と毎日お弁当交換しませんか?」突拍子もない提案をしてしまったかと思ったが部長はすんなり承諾してくれた。
みんなには内緒の秘密の関係。
これから部長のために毎日お弁当を作るのは気を遣って苦労するかもしれない。でも、それよりも部長が私の作ったお弁当を食べてくれる事、秘密の共有が嬉しくて楽しみでしょうがなかった。
談笑しているとあっという間に上映時間が近づいてきた。「そろそろ行くか」と部長の一声で2人一斉に立ち上がった。歩いていると紫陽花が目に止まった。「部長!見てください!綺麗な紫陽花ですねこっちはピンクであっちは青です。」「いつもは見過ごしているが意識して見ると綺麗だな。土壌がアルカリ性の時はピンクになるんだろ。」部長は物知りだ。「そうだったんですね!初めて知りました。」綺麗な紫陽花。ピンクと青が交互に花壇に並んで咲いている。紫陽花を見るたびに部長を思い出すだろう。部長と仕事を休んでデートした事を一生忘れない。
なんとなく花言葉が気になり手に持っていたスマホで調べると…驚いた。胸にグサリと二文字が突き刺さり心をえぐる。花言葉を話題に出さなくて良かった。もしかしたら部長は知っていたのかもしれない。2人が今考えたく無い、聞きたくも無い言葉だった。
最初映画館に入った時は部長と並んで隣に座って映画を見るなんて完全にデートだとはしゃいでいたが、段々と映画のストーリーに没入してしまった。そしてラストは感動しすぎてボロボロに泣いてしまった。本当に良い内容だったが部長と一緒の時に見なきゃ良かった。泣き顔も酷いだろうし、化粧が落ちて汚いかもしれない。ポーチの中から鏡を取り出しチェックするがよく見えない。エンドロールの時に部長に顔を近づけて「お手洗い行ってくるのでロビーで待っててください」と耳打ちした。自分で顔を近づけておいて、ドキドキしてしまった。
お手洗いで顔を確認する。うわぁ酷い顔…
素早くできる限り化粧を直す。部長を待たせる訳にはいかないので、目の下についてしまったアイラインやマスカラ、アイシャドウを落とし、最後にパウダーをはたく。地味な顔が更に地味になってしまったが、しょうがない。急いでロビーに戻ると部長が座ってPCをチェックしていた。私のせいで休ませてしまったからだ…慌てて側に行く。「部長、お待たせしてすいません!!」「早かったな」と言いながらPCをしまう部長。「あ、あの仕事大丈夫ですかね…、、今から出社します?」「何を言っているんだ。休むと連絡しただろ。何か困った事が起きてないか確認しただけだ。」「すみません…」「謝らなくて良い。」優しく微笑んでくれた部長を見ると胸が苦しい。恋愛映画を観た後のせいか、もう自分の気持ちを伝えたくてしょうがない。でもダメだ。この人は既婚者なのだから。抑えないと。
「次はどこ行こうか」「うーーん。百貨店とか行きますか?私、化粧品を見たくて」「この近くの百貨店だと高島屋か…」少し嫌そうな顔をしている。「すみません、嫌ですよね?男の人はウインドウショッピングとかしないですよね?」「いや、そうでは無いのだが…」はじめての煮え切らない態度にこれは何かあるなと察した。話を変えよう。「じゃあ、海が見たいです!私の家の近くなんですけど」「…いいのか」と困惑しながら確認してきた。なぜ少し困っているのだろう。「もちろんです!行きましょう」歩きながらなぜ部長はなぜ少し困っているのか考えた。良く考えると、さっきの言い方だと家に誘っていると思われてもしょうがない。いや、違うんです部長、そんな下心というか、、貴方を家に呼ぶなんて畏れ多いです。
「大丈夫か?」声をかけられ我に帰る。「いえ、海楽しみだな〜と思いまして」「それなら良いが…電車乗れるか?嫌ならタクシー使うが」「何言ってるんですか!勿体ないですよ!」「いや、それなら良いんだ」ここから私の家の近くまでは結構距離がある。なんでタクシー…と思った時、部長の優しさに気付いた。そっか朝の痴漢の事をトラウマになってないか心配してくれてたんだ。思わず「ありがとうございます」と口から出た。「すみませんと言われるより、そっちの方が良いな」と少し口角を上げて言ってくれた。
電車は空いていたので2人で並んで座った。さすが平日の昼間だ。「空いてるな」部長も同じ意見だ。「いつもこれくらい空いてれば良いですよね」「俺は5駅だから耐えられるが、松村は急行で8駅だよな」「なんで知ってるんですか?」「部下の家の最寄りくらい覚えてる。柴田は7駅だろ。」と急に拓実の話をされて思わず「あ、忘れてた」と言ってしまった。部長が少し嬉しそうな顔をしたのは気のせいだろうか。スマホを取り出し、LINEを確認する案の定拓実から4件メッセージが来ていた。
〈昨日はしつこくしてごめん〉
〈体調悪いの?〉
〈大丈夫?〉
〈お見舞い行こうか〉
正直いって拓実の存在をすっかり忘れていた。「心配ありがとう。大丈夫だよ。」と送るとすぐにスマホをしまった。
最寄り駅に着いた。海はここから歩いて20分くらいかかる。「タクシー乗りますか?」と聞くと「歩いていこう。サンセットの時間にちょうどいい」2人で歩き始める。
当たり障り無い話をしていたが、ついつい部長を質問攻めにしてしまう。2人でゆっくり話せる時間なんてもう二度と無いだろうと思うと帰る前に色々聞きたくなってしまう。
好きな食べ物は何ですか。誕生日はいつですか。そして、奥さんとのなれそめ。「妻とは…この時代にと驚かれるかもしれないが、ほぼ政略結婚ようなものだ。俺の父親と妻の父親は仲良くてな。妻の事は幼い頃から知っていた。会社の合併に伴い、結婚するよう父から頼まれたんだ。」部長が遠くを見ながら言う。「奥さんのこと、愛していますか?」質問した瞬間、何て事を聞いてしまったのかと自分にひいた。部長は「…分からない。幼い頃から遊んでいたから、正直妹に近いのかもしれない。家族愛としてなら愛してるだろう。」「そうなんですか…」
素直に愛してると言われた方がどれだけ良かっただろう。そうしたら憧れの部長は奥さんと仲良しなんだ、良い家庭を築くんだろうな、なんて思って終わりだっかもしれない。そんな曖昧な事を言われたら、、少しでも自分にも可能性があるのではないかと期待してしまう。「この間、田中先輩が部長の事カッコいいって話してましたよ。どうですか?」口が止まらない。「…あぁ。なんか言われたが…俺は結婚しているからな。」胸をナイフで刺されたかのような衝撃が走った。そうか…奥さんを愛してるとか、社内1の美人に告白されたとかそんな事は部長には関係無いのか。結婚しているから。その一言が全てを表していた。もう私の想いは届かないのだ。
日が落ちてきた。太陽が水平線に沈み込む。部長が「綺麗だな」と呟いた。オレンジ色に照らされたあなたの方が綺麗ですよ。横顔を見ながら胸が締め付けられる。「話戻りますけど、、もし、、もし私が部長の事好きって言ったらどうしますか?って迷惑ですよね!」聞きたくて堪らないことを口に出した。真剣に聞こうかと思ったが最後は冗談ぽくなってしまった。だってふざけて聞いた方が、拒否された時に傷付かず済むから。
部長が何か一言言った時に丁度歩行者の笑い声が被さり、聞こえなかった。「え?なんて言いました?」聞き直すとまっすぐ海を見つめたまま「嬉しい。松村が好きって言ってくれたら、嬉しい。」と答えた。
!?!?う、嬉しい!?!?
美咲がうろたえたのを察知したのか、
「そろそろ帰るか。」部長が立ち上がる。
2人で歩いて来た道を戻る。
さっきの答えについてもっと詳しく聞きたい気もしたが突っ込めなかった。嬉しいと言われたその一言で充分幸せだった。
お弁当の具は何が好きとか、そんな話をしていると駅に着いた。「今日は本当にありがとうございました。」お礼を言うと「俺も息抜きしたかったんだ。こちらこそありがとう。楽しかった」とサラッと言うと部長が改札に向かっていく。我慢できず「部長!」呼び止めてしまった。
立ち止まり振り返ってくれる。「なんだ?」「ラ、LINE交換してくれませんか??」断れること前提で聞いてみた。「そうだな。」とあっさり部長が差し出してくれたQRコードを読み込む。アイコンは海の写真だった。追加してスタンプを送る。キャラクターのイラストで吹き出しにはthank youと書かれている。子供っぽかったかな、失礼だったかなと思っていると、同じキャラクターのイラストでOKと吹き出しに書かれているスタンプが送られてきた。え!?部長もキャラクター!?と驚いていると「また明日な」と歩いていってしまった。もう、、全てがツボすぎる。やっぱり好き。部長の全てを知りたいし、部長が欲しい。部長が見えなくなった後も改札をぼーっと見つめ続けた。