シークレットの標的(ターゲット)
「ここの店だけどさ、オーナーが変わるから店名を変えて来月オープンってことらしいんだ。新しいオーナーは前のオーナーの弟子だって。店舗まるごと譲り受けるらしい」

「・・・このお店はどこにあるの?」

恐る恐る聞いた私に緒方さんがにこりと微笑む。

「東京の郊外。元の店の名前は『リッテラ』ーーー望海の実家だな」

「知ってたの?」

「ああ。少し前に望海からご実家の話を聞いただろ。そのあと、偶然草刈先生のご主人からも望海の実家の話を聞いてさ、それでお店の名前を知ったんだ」

情報元が草刈先生のご主人と聞いてピンときたのは、草刈先生に私のお弁当のおかずのレパートリーの多さの秘訣やら作るコツを聞かれて実家の洋食屋のメニューを参考にしていると私にしては珍しく実家の話をしたことだ。

草刈先生のお弁当はご主人が作っているから必然的にご夫婦の間で情報共有がされたのだろう。それがまさか緒方さんに伝わるとは思ってなかった。

「『リッテラ』には自慢のデザートがあって、これを継承できることがお店を譲る絶対条件だったそうだよ」

「どうしてそんなことまで緒方さんがーーー」

「知ってるよ。だって、お店に行って望海のご両親と話をしたからね」

信じられない言葉に息を呑んだ。

「わたしの実家に行ったの?」

「そう。望海が心を痛めてたからね。余計なお世話かもしれないけど、俺は将来自分の義理の両親になるひとたちとわだかまりがあるのはイヤだし、何より望海の憂いは取り除きたい。ご両親は望海の仕事に口を出したことを後悔していたよ。それに望海に会いたがってた」

何か途中におや?と思う単語がかなり含まれていたけれど、それは聞かなかったことにして話の先を急いだ。

両親に会っただけじゃなくてわたしの話をしていたとは。
後悔していた?あの父親が?
まさか。あの父だよ。

「ちょっと信じられないわ」
「望海が実家にぴたりと顔を出さなくなって二年半だっけ?それまでだってろくに顔を出してなかったのに、勤務先を変えてからは全くだってな。お父さんは娘の気持ちを考えず店を継いで欲しいと自分の思いを押しつけたことを後悔しているようだったよ」

にわかには信じられず口を閉じた。

高校生のころ看護学部がある大学に進学したいと言ったときに大反対され、お金は出さない、だったらこの家を出て行けと言われた。
母は父を宥めていたけれど、大学に行くのなら栄養か経営を学んだらどうかと言っていて、やはり私が家業から離れることを望まなかった。

奨学金制度を使って地方の病院付属の専門学校に進もうとした私を大学に進学させてくれたのは祖父母だった。

祖母は孫の将来を縛らないようにとわざわざ北海道から上京して両親を説得してくれたのだ。
あの実家の店を始めたのは祖父だったけれど、祖父母は父に店を譲ると同時に祖母の実家のある北海道に移住して二人でのんびりと暮らしていた。
結局わたしは高校卒業後、実家を出て祖父母のところから大学に通わせてもらった。

実家には行かないが、北海道の祖父母のところには年に1回《《帰省》》している。

私が嫌がるからと祖父母も私には実家の話はしない。だから誰かに店を譲るなんて話になっていることは聞いていなかった。

あの同窓会の日、森山君が言っていたお店の名前が変わるっていうのはこういうことだったのか。
タイミングを逃してそのまま誰にも聞かずにいたから知らなかった。

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