シークレットの標的(ターゲット)


週末の休みまであと半日になった金曜の昼、ランチを終えて歯磨きをしていると小池さんがいつもの休憩室に飛び込んできた。

「おおおおおおしまさん、緒方さんに近々地方勤務の内示が出るって知ってましたっ?」

私の口からポロリと歯ブラシが落ちる。

内示が出るーーー
緒方さんは知ってる?

私の顔色が変わったことに気が付いた小池さんの顔色も悪くなる。

「すみません、聞いてなかったんですね。じゃ、じゃあガセかもしれないですねっ」

回れ右して出て行こうとする小池さんの襟首を草刈先生が捕まえる。

「ちょっと待った、その情報もっと詳しく」
「ひゃい」

お弁当箱を片付けていた主任も立ち上がりこちらに来て仁王立ちする。
「ねぇ、それ、どこの誰情報?」

真顔の主任と草刈先生に前後を挟まれて小池さんの顔色が一層悪くなった。

「経理の岡村くるみさんです。今週から秘書課に研修で入ってるらしくて、さっきランチで入ったパスタの店で岡村さんが同期相手に人事部長と専務の話を聞いたって喋ってるのを小耳に挟みました・・・」

情報を漏らした岡村さんの話をたまたま聞いてしまった小池さん。

「岡村くるみね・・・あの経理の問題児か。確か経理で使い物にならないから秘書課で預かって再教育してるはずだったけど。職場で知った守秘義務も守れないとなるとーーー」

ぶつぶつと呟きながら怖い顔をした主任が部屋を出て行き、休憩室に残ったのは呆然と立ち尽くす私と真っ白な顔色の小池さんと草刈先生。

「小池さん、この話余所で話してーー」「ませんっ!!」
草刈先生の問いかけに即答の小池さん。

「そうよねぇ。小池さんは大島さんが心配で伝えに来ただけよね」
小池さんはこくこくと全力で首を縦に振った。

「それで、岡村さんは緒方さんの転勤はどこになりそうかとか言ってた?」

「いいえ、そこまでは」

「そう。でも内示前に喋るだなんてとんでもないわね。いったいどうやってその情報を手に入れたのかしら。人事部長と専務が不用意にあの岡村さんの前でそんな話をするとは思えないし」

「そう言われてみれば。内示前の人事ってトップシークレットですよね」

「そうよ」

草刈先生と小池さんが話している内容はもう私の耳に入ってこなかった。

転勤
緒方さんが転勤。
こんな早くーーー


うちの会社は全国に支社を持ち、子会社も含めたらとんでもない規模で、そのうちのどこに行くことになるのだろうか。

簡単に電車で行けるところか、新幹線が使えるか、飛行機じゃないと行き来できないところかーーー目の前が真っ暗になったように感じた。

「大島さーん、大島さん。すみません、戻ってきてください」

小池さんに肩を揺すられ意識を現実に戻す。

「このまま現実逃避したかったんだけど」

「ああああー、そうですよね。すみません、私が勝手にペラペラと喋ったせいで」
小池さんがぺこぺこと私に頭を下げる。

「まだ昼休みなんだし、緒方君に確認したら?内示前の人事だって言うから本人も知らないかもだけど」

「そう、ですよね。まだ本人も知らないかもしれないんですよね。ーーはあ。どうしよう」

草刈先生に言われてのろのろとポケットからスマホを取り出したもののどうしたらいいかわからない。
聞くのが怖いし本人の知らないところで噂されてるなんて気分悪いだろうし。

「うーん、やっぱり連絡するのは仕事が終わったらにします。今彼出張中なんですよ。たぶん忙しいと思うし、向こうもいきなりこんなこと聞かされたら困るだろうし」

そうか、そうね、と草刈先生も頷いてくれる。

「どこに出張に行っているかは聞いてる?」

「国内でもシークレットなので私も聞いてないんです」と口ごもると草刈先生もうーんと唸る。

「まだどこにどうって決まったわけじゃないから元気出して」

そんな声掛けに何とか頷いてみせた。

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