シークレットの標的(ターゲット)



「やあ、お疲れさま」
「・・・お疲れ様です」

爽やかな笑顔でその男はやってきた。
こっちは何だか後ろめたい気持ちや恥ずかしさなどがぐちゃぐちゃとしていてとてつもなく気が重いというのに。


「採血しますので腕を出してくださいね」

特別にならないように、殊更事務的に声掛けをする。
「はい、よろしく」目の前にワイシャツをめくった緒方さんの腕が出された。

程よく筋肉がついた逞しい腕。
ふいに昨日の朝、自分を抱きしめてきたあの腕の感触を思い出しそうになって慌てて心に蓋をする。

勤務中、勤務中、勤務中。
今から採血、採血、採血。
ミスは許されない。
ノーミス、ノーミス・・・

心の中で念仏のように唱えすばやく採血を終えると、次の社員さんの前に移動した。

もう、本当に変な汗をかきそう。

全員の採血を終えると、次は宮本さんの担当する計測検査を終えた人から聴力検査をする。
またもう一度緒方さんと接しないといけないのがまた気が重い。

「はい、このヘッドホン、右を赤、左を青で装着してください。音が聞こえたらこのスイッチを押してくださいね」
検査室の角にある聴力検査の防音室に案内してヘッドホンを渡す。

素直に頷いてくれたのを見て防音室のドアを閉めようとして、身体がぴきんと固まった。
ーー見えてる。
昨日のキ、キスマークが胸元からチラリと見えてる。

緒方さんのワイシャツのボタンが二つ外してあり胸元が大きく開いている。
おそらく血圧測定の時に袖が肘までめくれず、脱いだからなんだろうけど。
この後は診察で聴診もあるから通常ならそのままでも問題ないといえばないんだけど。
今日の緒方さんの胸元には大いに問題がある。

ーーーこれ、もうすでに宮本さんは目にしてしまっただろうか。

「緒方さんーーやばいです。あまり大きく襟元を広げてしまうと見えそうです」

「うん?何が」

緒方さんがとびきりの悪い笑顔を私に向けた。

「ーーー胸元の内出血です」

「ああ、これね」

そう言いながら見せつけるように大きく胸元を広げようとするから急いで止める。

「見、見せなくてもいいですから」
「そうか、君がつけたんだもんね。場所も大きさも把握してるか」
「いえ、そういうことじゃなくてーー」
他の人に見えたらどうするのかってことよ。

意地悪そうに黒い笑いを浮かべる緒方さんに引きつりそうになりながら「だから早くしまってください」と手を伸ばしてワイシャツの二番目のボタンを留めてやった。

「へえ、脱がせるだけじゃなくて着せるのも得意なんだ」

また緒方さんの笑みが深くなり、私は青くなる。
脱がせるのが得意ーーー?まさか私が誰かを脱がせたの?

ああ、もうこれ以上聞いちゃだめだ。
飛びのくように緒方さんから離れて緒方さんのいる検査用防音室の個室扉を閉めると、外にある操作パネルに手を伸ばした。

はあー、危なかった。
仕事中にそんな話は本当にやめてほしい。


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