シークレットの標的(ターゲット)
聴力検査を終えると、ちょうどよく宮本さんが現れたから、緒方さんの診察室への誘導を任せ私は次の人の検査に入る。
防音室から出てきた緒方さんは「どーも」とひと言言っただけで宮本さんに連れられおとなしく診察室に向かってくれた。
本当にいちいち心臓に悪い。
早く診察が終わって自分のフロアに帰ってくれないかな。
そうすれば、おそらくまた接点はなくなる。
診察室で聴診の時にはあの胸元のキスマークを草刈先生と主任に見られてしまうだろうけど、つけたのが私だとわかるわけではないから知らん顔をしていればいいだけだ。
ーーーその後、男性社員の次に予定されていた女性社員の受付をしていると、診察の終わった緒方さんが奥から出てきた。
「緒方さん、もう終わったんですか」
同じ海事の若い女性社員たちがはしゃいだ声を上げる。
同じ部署にいても彼はレアなシークレットさんだからあまり顔を合わせる機会がないのかもしれない。緒方さんの顔を見て女性たちは嬉しそうにしていた。
「私たちこの後、しばらく日本を離れるんで今夜和食屋に行くんですけど、緒方さんもどうですか。帰国したばかりで日本食は久しぶりでしょう?」
「いや、先約があるから遠慮しておくよ」
かわいい女性社員の誘いを即座に断る男。
えーつまんない、と口々に言う女子社員。
「私たちすぐに海外に行かなきゃいけないんです。なかなか一緒に出かけるチャンスないんですからこっちに来てくださいよお」
「私たちの壮行会だと思って。いろいろ不安なんです。話を聞かせて下さい」
「緒方さんに励ましてもらったらがんばれそうなんです」
と次々と甘ったるい声を出して誘っている。
海外赴任になる若い女性社員なんて超エリートだと思うけれど、中身は普通の女性なんだなと思うとちょっとほっとする。
イケメンエリートに励まされて送り出してもらえたらがんばれそうだもんね。
ーーーだというのにこの男ときたら・・・
「悪いね。今夜はどうしても外せないんだ」
「だったら、そちらが終わった後でいいのでちょっと顔を出してくれるだけでいいですから」
断わられてもなおも誘いをかける女性陣。
「いや、無理」
「ちょっとでいいですから~」
そうか、小池さんもそうだったけど、緒方さんっていつもこんなにアタックされているんだろうか。
さすがに少しお気の毒かも。
「そのあとも用事があってね。悪いけど」
えーと女性たちの残念そうな声に緒方さんは少し口角を上げて正面から私に視線を向けた。
え、なに?
「今夜は接待。その後で別のところで飲む予定になっている彼女を迎えに行くことになっているんだ。彼女、やきもちやきでさ、この間も些細なことでキスマーク残されちゃって。今夜も泥酔する前に迎えに行ってやらないととんでもないことになるから」
何かを思い出したようにくっと笑う緒方さんの笑顔に女子社員たちの目が釘付けになり、中には「ほわーっ」とか「キスマーク」とか小声で言っている人もいる。
「浮気の心配なんてしなくていいって言っているのに。なあ、望海」
えええ
なぜか、それを私の顔をじーっと見ながら言ったものだから、勘違いしたらしい海事の女性たちは揃って悲鳴に似た声を上げた。
もちろん、私も一緒にあげそうになったーーー
なに、その爆弾発言。