シークレットの標的(ターゲット)
「先生、松平主任。お先に失礼します。駅すぐそこなんで送っていただかなくても大丈夫です」

スマホを乱暴にバッグに突っ込んで財布を取り出す。お金を払って帰ろうとすると、
「大島さん、もう手遅れだと思うわーー」
松平主任が気の毒そうに私の肩を叩いた。

手遅れ?と手にした財布から視線をあげると、店内に入ってきた二人組の男性のうちの一人と目が合った。

・・・遅かった。

「迎えに来た」

すっとした端正なお顔を曇らせた緒方さんがこちらに歩いて来て
「今日も飲んだみたいだな」と私の額をちょんとつつく。

「頼んでないし」

気軽に触るなと額を指先で擦るように拭いてぷいと横を向いた。

「何だよ、機嫌悪いな」

誰のせいだと思って。
あの同窓会の晩、この人が私を無理矢理タクシーに乗せていなければこんなめんどくさいことに巻き込まれてはいなかったのだ。

「緒方君、仕事はうまくやってるのに女性のことは意外と不器用だね」

緒方さんの背後にいた男性がはははっと笑い出し、そういえばここに来たのは緒方さんひとりではなかったと思い出した。

接待の相手だったという草刈先生のご主人だ。たぶん。
草刈先生が頷いてのを見て
「奥様にはいつもお世話になっております。保健師の大島です」と挨拶をした。

「こちらこそ。うちの妻は我儘を言ってはいませんか」
草刈先生のスマホの写真で見たとおりの優しそうな笑顔の草刈先生のご主人。
うん、確かに毎朝お弁当を作ってくれそう。

「とんでもない。草刈先生はクセと個性の強い社員相手にも的確な指示を出していただけるので本当に助かっています。我儘だなんてとんでもない」

「そう、よかった」

ご主人は笑みを浮かべ松平主任に視線を向けた。

「お目にかかるのは初めてですね。敬啓大の内科医をしている草刈です。神田さんから松平夫妻のお噂はかねがね・・・」

松平主任は困ったような笑顔を浮かべた。

「草刈先生にはいつも伯父がお世話になっております。あんな人なので先生にはさぞかしご迷惑をおかけしているのでしょうね。嫌なことはのらりくらりと逃げ回りますからバシッと言ってやってくださいね。バシッと」

主任の伯父さんと知り合いらしい草刈先生のご主人はぷっと吹き出した。

「はい。わかりました。バシッとですね。効果があるかどうかはわかりませんが頑張ってみます」

草刈先生も松平主任の伯父さんとは知り合いなのかクスクスと笑っている。

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