シークレットの標的(ターゲット)
「それに、あの晩望海が自分で俺に『名前で呼んで』って言ったんだが、それも覚えてないんだな」
緒方さんが鼻で笑った。
まさかの…自分発信だった。
そんなことある?
「俺が嘘を言ってると?」
わざとらしく首をかしげて見せる緒方さん。
自信をもってそんなこと言ってないと言えたらいいんだろうけど、記憶がないから言えないし。
「ああそうだ。『のんちゃん』でもいいと言っていたな。流石にのんちゃんは…と思って望海にしたんだが、のんちゃんの方がよかったか?」
げっ。
『のんちゃん』なんて呼ぶのは幼馴染と家族だけだ。
ということは緒方さんの言う通り私が緒方さんに言ったのかもしれない。
緒方さんから『のんちゃん』なんて会社で呼ばれたらと思うとゾッとする。
「今から『大島』に戻していただいてもいいんですけど」
「却下」
緒方さんは楽しそうにひれ酒を口に運んでいる。
「俺のことも『凌雅』でいいけど?」
「却下させていただきます」
それは絶対あり得ない。
そんな呼び方をしたら会社で何を言われるか。
「ふんっ。名前もそうだが、そんな感じで電話番号も交換したんだぞ」
あ、やっぱり。・・・話している途中で私もそうじゃないかと思っていた。
酔って気持ちが大きくなり、調子に乗っていたんだろう。
その上シークレットさんとベッドを共にしてしまうだなんて。
「それと、あれは無理やりじゃなかったからな」
「大丈夫です。そこは疑ってません」
さすがに無理やりってことだったら抵抗しただろうし、多少なりとも記憶に残るだろう。
同意の上だったのだ。
「誤解が解けたのなら何よりだ」
緒方さんがいい笑顔でまたお酒を口に運ぶ。
くうう、いいな。ひれ酒。
私も飲みたいけれど、今夜は我慢、我慢。
「経過はわかりました。でも、あれは一夜限りの出来事なので会社でそれっぽく言われるのは困ります。緒方さんって有名人みたいだし私がファンの方々から嫌がらせされたらどうしてくれるんですか」
「一夜限りじゃなければいいってこと?」
緒方さんがにやりと笑う。
「そんなバカなことを」
ありえない話をするな。
一夜の過ちが二夜も三夜もなんてことがあったら、それはもうセフレだ。
「そういうのはお断りです。お願いですから、あの日のことはなかったこととして忘れてもらえませんか。それと女除けにされるのも勘弁です」
本当になかったことにして欲しい。
お付き合いしている関係ならともかく一夜のことだったのに、それを利用され社内で噂されるのは迷惑以外の何ものでもない。
既に噂になってしまった分は仕方がない。
人の噂も七十五日。これ以上広めなければ、少し我慢していたら忘れられていくはず。
そんな私の願いを込めた言葉だったんだけど、緒方さんは見事にスルーした。
「今、現在、妊娠の可能性はゼロじゃないよね」
そりゃもちろん、そういうことがあったのなら限りなくゼロに近くてもゼロじゃない。
渋々唇をかんで頷いた。