シークレットの標的(ターゲット)
「うん、よかった。これからは望海も口調を友達のものに変えること。それと妊娠がわかったらすぐに結婚だから」

「う、うん?ちょっと待ってください。わたし、妊娠しても結婚するとは言ってませんけど」

「わかっていると思うけど、シングルマザーはそんな簡単なものじゃないぞ。金も時間も体力も」

いや、もちろんわかっているつもり。
でも、相手が緒方さんってところが現実感ないし、甘いかもしれないけれど妊娠も現実味がない。

「とりあえずその話は保留でいいですか」

頭が追いつかないと言うと、仕方がないな、と緒方さんが折れてくれた。


「よし、じゃあ新しい関係に乾杯しようか。お酒っていいたいところだけど、望海は妊娠していると困るからノンアルコールで」

「はい」

私は手元のウーロン茶を、緒方さんはひれ酒を持ち上げて乾杯した。

そうして、私たちは正式に知人から友人関係になった。

社内では適度に親しく。節度をもって。





「あー、お腹いっぱい。満足したぁ」

お店を出て夜風に当たる。
私はお酒を飲んでいないけれど、てっちりを食べたおかげで身体がほかほかと暖かい。ほてった身体に夜風は気持ちよかった。

「そうか、それは何よりだ」

「ごちそうさまでした。今度は私が何かご馳走します」

「ああ。帰国したら頼む」

「そうでした。赴任先も期間もシークレットなんでしょ。気をつけて行ってらっしゃい。帰ってきたらご飯食べに行きましょう」

シークレットさんはやっぱりシークレットな業務に就いているらしくどこに何日間行くのかを教えてくれなかった。

帰国する頃は妊娠の有無がわかっている頃なのかもしれないし、もっとずっと先なのかも。

友達になれるといいな。
この短時間でそう思ってしまうほど、意外にも緒方さんとは話が合った。

そういえば、前回やらかしてしまったのも二人でした会話が楽しかったからだ。そのせいで飲み過ぎてしまったんだけど。

酔っていたとはいえやはりあの時に望海と、名前で呼んでもいいと許可したのは自分なのだと思う。

「記憶が無いからって、昨日も今日も酷い言い方をしてごめんなさい」

「いや、俺の方も望海を女除けにしようとしていたからな。望海の許可も取らずに悪かった」

ふふっと笑うと、緒方さんも微笑みを返してくれた。

「俺の留守中、なにか困ったことや変わったことがあったら常務室に行って欲しい」

「常務室?」

「そう、タヌキのところだ。些細なことでもいいから」

「行ったことがないから敷居が高いなぁ」

大企業の常務室になんて気軽に行けるはずがない。秘書の谷口さんだってうちの副社長の婚約者という超大物だ。

「大丈夫だよ。相手はタヌキなんだから。地域の動物園だと思えばいいさ。営業の女子社員なんかは結構行っているらしいよ。相談とか雑談とか」

「部署違いの私に無茶言わないで」

確かに常務はタヌキにそっくりだけど、本物のタヌキじゃない。大企業の常務なんだから。

「まあ、いいや。とりあえず覚えておいて。困ったら常務室に行くこと」

「うん」
利用することは無いと思うけど。
一応頷いておいた。

それと、
タヌキとうちの主任の関係は伯父と姪ということを教えてもらった。

おまけに主任は海事の柴田竜之介さんの実姉なのだと。
柴田さんといえば、薔薇姫こと高橋由衣子さんの後継者としてだけでなく、イケメンとしても有名だ。
そこがそう結び付いていたとは知らなかった。

おまけに最近うちの受付嬢と入籍したと聞いている。
彼も新ご三家入りの有力候補の1人だったから、祝福の声に混じってあちこちからため息がもれていた。

あの柴田さんの姉なら主任のあの美貌も頷ける。

そしてタヌキの身内であるなら、変わり者であることも頷ける…。

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