シークレットの標的(ターゲット)
先生が出勤して診察をしてもらった。幸い捻挫はたいしたことなくて腫れや痛みは数日でよくなるだろうということだった。
「大島さん、今日は帰ったほうがいいわ。幸い今日は健診も面談の予定もないし」
それに、と主任はにこりと微笑む。
「それにうちにはいい人材がいるし」とデスクでパソコンワークをしている小池さんを目で示した。
主任と私が自分の話をしていると気が付いた小池さんが顔を上げていやーな表情をした。
決して仕事ができない子じゃないことは私も気が付いていた。
ただ力を注ぐ方向がちょっとおかしいだけで。
「小池さん、広報の須永さんと総務の野原さんの検査結果が来たら、草刈先生に回してね。それと、今日は的確に処置してくれてありがとう。おかげで悪化させなくてすんだの。感謝してます」
ぺこりと頭を下げると、「ちょ、ちょっと」と小池さんが慌てだした。
「さっきもお礼を言われたし、そう何回も言わなくていいですからっ」
真っ赤になるあたりちょっとかわいいと思ってしまう。
ホントにベクトルさえ間違えなければいい子なのかも。
おまけに「気をつけて帰って下さいね」と優しい言葉で送り出されてしまった。
足首のテーピングのせいで履いてきたパンプスが入らなくなってしまったので仕方なく、職場で使っている白いスニーカーを履いて帰ることになってしまった。
でも、帰路につく前にーー小さな声で主任から常務室に寄るようにと言われていた。
正直、役員室のあるフロアには行きたくない。
あそこは一般社員にはほとんど関係のないフロアだ。廊下にまでふわふわ絨毯の敷かれているようなところに足を踏み入れなければいけないだなんてムダに緊張する。
ため息をつきながらエレベーターに乗り込んで常務室のある20階のボタンを押した。
「ああ、もしかしてのんちゃん、今から常務室に行くところ?」
急に声を掛けられて驚いた。
え、誰か先に乗ってた人がいたの?
乗り込むときには気が付かなかったけれど、エレベーターの奥にいたらしい丸っこい塊に声を掛けられたのだとわかった。
「何だかめんどくさいことに巻き込まれちゃったね。足の方も大丈夫?」
丸っこい塊はなぜかシルバーの大きな布のようなものを持った神田常務で、どうしてエレベーターに乗るときに常務の存在に気が付かなかったのかってことと”のんちゃん”と呼ばれたことに動揺してすぐには返事ができなかった。