うましか
幸いにも、この八ヶ月で彼とちゃんと話したのは五回だけである。同じ教室で一日を過ごしても、同じ班で毎日同じ場所の掃除に行っても、仲良くなれなかった。
話ができた五回は、わたしが放課後の教室に残っていたときだけ。それなら教室を出てしまえば、六度目の会話の機会は失われるのだ。
そうやって逃げるように、寒い部室や小講義室で放課後の時間を過ごすようになって、気がついた。こんなことをしなくても、彼は岡崎さんととっくに下校しているのではないだろうか。
そう思ったら、自分がやっていることがひどく滑稽に感じて、暖かい教室に戻ることにした。でも万が一に備え自分のクラスではなく他のクラスで、そのクラスに残っていたみんなと過ごすよう徹底した。
幸いにも、六度目の会話が起きないようにするのは簡単だった。元々彼の生活の中にわたしはいなかったから、避けることが不自然になることはないのだ。
そうやって、高校一年生の残りの日々が過ぎていく。わたしの日常は、平穏そのものだった。
友だちもたくさんできた。部活も楽しい。年度末に発行する文芸部誌の準備は、目が回るくらい忙しかった。わたしは毎日、笑って過ごした。
それでもたまに、一瞬だけ、胸に鋭い痛みが走る。まるで心臓の奥に氷の破片でも突き刺さっているかのように。そしてたまに、胸の奥に、なんとも形容し難い違和感があるのに気付く。心の中の柔らかい部分を、とても大きな分銅でゆっくりと押しつぶしているような。そんな違和感だった。
どうしてそんなことになっているのか。原因ははっきりと分かっている。彼と岡崎さんだ。ふたりが楽しげに話す様子を見たとき。いつの間にか名前で呼び合っていることに気付いたとき。放課後の教室で岡崎さんが彼とのキスについて話しているのを聞いてしまったとき。バレンタインデーにもっと先まで進む計画があることを知ったとき。
いくら「動け」と身体に命じても、あまりの痛みと違和感に、わたしは硬直してしまう。
彼と話したい。彼に話さなければ。伝えなければ。教えなければ。岡崎さんと付き合うのは間違っているよ、と。