うましか

 二月の凍りついた空の下、一頻り嘆息したあと、踵を返して走り出した。

 冬の夕暮れは短い。校舎に生徒はほとんど残っておらず、吹奏楽部の合奏の音と、その隙間を縫うわたしの慌ただしい足音が、やけに大きく響いていた。

 わたしは誰にも会わないまま四階にある一年五組の教室に辿り着き、鞄からペンケースを取り出しながら、一番後ろの彼の席の前に立つ。

 約一年、彼が勉強し、お弁当を食べ、クラスメイトと雑談し、たまにうたた寝した机だ。何度か席替えがあったのに、結局一度も近くに来ることがなかった机。横に六列、縦に七列もあったのに、ずっと後ろの三列を行ったり来たりし続けた机だ。

 その机の天板を指でそっとなぞったあと、床に膝を付き、4Bの鉛筆で、そこに大きな字を書いた。「馬」と。

 それは、心も身体も幼いわたしがこのときにできた、精一杯の感情表現だった。

 お願い、気付いて。あなたが傷つく前に、どうか。女の子はみんな、本心を巧みに隠しているということを。わたしはこれ以上、あの子の口からあなたへの侮辱の言葉は聞きたくない。
 人は恋をすると馬鹿になってしまうらしいの。どんなに頭の良い人でも、恋をしたら冷静な判断ができなくなってしまうんだって。恋は盲目なの。だからお願い、どうか、どうか、目を開けて……。


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