うましか
昇降口を過ぎ、中庭を横目に職員玄関までやってきた。目の前にある総合グラウンドに人の気配はなく、代わりに頭上の教室から歓声が聞こえる。試合は大分盛り上がっているみたいだ。
職員玄関を入ってすぐ左手にある事務室もまた盛り上がっていた。仕事そっちのけでテレビの前に集まり、球児たちの姿に一喜一憂している。
何度かガラス戸をたたくと、ようやく用務員さんが気付いて窓を開けてくれた。わたしたちが在学中お世話になっていた用務員さんだった。もうすっかり白髪頭になってしまっている。
「ここに名前を書いてこれ首から下げて。スリッパはそこにあるから」
言われた通り用紙に名前を記入し、ゲストと書かれたプレートを首から下げると、用務員さんはおかしそうに笑った。
「思い出した、文芸部の笹井さんと、遅刻魔の小林くんか!」
「え?」
「遅刻のことは思い出してほしくなかったな……」
苦笑する小林くんを見て、今度はわたしが笑う番だった。そういえば小林くんは、よく遅刻していた。遅刻をした日はカードに判子をもらわないと教室に入れない。カードは青から始まり、十回ごとに黄色、赤とランクアップする。赤のカードがいっぱいになってしまったら保護者面談が待っているのだ。
「校内はまだおぼえているか? 観戦は三階の合同講義室だよ」
微笑ましい視線を向ける用務員さんに送り出され、階段を上る。
「結局何色のカードまでいったの?」
聞くと小林くんはばつが悪そうに頬を掻いて、でもちゃんと答えてくれた。
「赤のカードがいっぱいになって、一度親が呼び出されて。それでおしまい。赤カードの次も赤カードだからね。遅刻しないように気合い入れた」
それでも遅刻三十回以上は凄い。
「一応言っておくけど、遅刻王は千葉」
「そうだねえ、千葉くんは遅刻魔だったねえ」
千葉くんとは三年間同じクラスだったけれど、彼は本当に凄かった。ほぼ毎日遅刻して来て、カードを手に教室に入ってくる姿はもはや貫禄があった。わたしが知る限りでも、三年間で保護者面談が四回は行われている。
「小林くんも千葉くんも自転車通学で大変だったでしょ」
「一時間くらいかかったよ」
「そりゃ大変だ」
「最後にあの坂は地獄だった」
「だよね。今歩いて来たけど地獄だったもん」
その足で三階まで上るのも結構な地獄だ。きっと明日は筋肉痛で、のたうち回るだろう。
合同講義室を覗くと、むわっとした空気が溢れてきた。中高年から若者、在校生らしき少年少女たちが数十人も集まって、大型テレビの中の球児たちに声援を送る。パイプ椅子は用意されているものの、座れない人たちも大勢いた。
カキン、という金属音が響き、途端に歓声と拍手が巻き起こる。この一体感に胸が震え、血が茹だり、内臓が起立したかのような気分になった。年齢も職業も全く違うであろう人たちが集まって、意志を通わせている光景は、とても美しい。
ただし一体となったこの教室の中に、何食わぬ顔で入って行く勇気はなかった。
ちら、と小林くんを見上げると、彼も困ったようにわたしを見下ろし、そしてこう言った。
「少し、話さない?」
この提案に、わたしは黙って頷いた。