うましか

 彼以外の異性なら、同級生でも先輩でも先生でも、気軽に話すことができるのに、と落胆していた、九月半ばのことだった。

 月曜日で、文芸部の活動はなく、放課後の教室で、友だちの委員会の集まりが終わるのを、本を読みながら待っていたとき。「あ」という声が聞こえ、弾けるように顔を上げると、彼がいた。

 テニス部は今も中庭で活動中のはずなのに、なぜか彼は制服姿で、教室に残っていたわたしを不思議そうに見ながら「どうも」と挨拶をした。

 情けないわたしでも挨拶くらいはできる。彼に倣って「どうも」と返すべきところだったけれど、放課後の教室で遭遇するとは思っていなかったせいで、挨拶より先に「部活は?」と気軽に尋ねてしまった。

 すると彼は一瞬「あー」と言い淀んだあとで「辞めた」と答えたのだった。

 失敗したと思った。特に親しくもないただのクラスメイトが気軽に聞くべき内容ではなかった。だから謝ることも、励ますこともできない。わたしも退部経験者だよ、と昔話をすることもできない。でも質問して返答されたからには、返事をしなくてはいけない。

 考えた末「そっか、お疲れさま」と、できるだけ普通の声色を心がけて返した。

 そうしたら奇跡が起きた。

「うん、疲れたからね、チャリ通しんどい」と。彼が会話を続けてくれたのだ。あの口数の少ない彼が、だ。

「……テニス部、練習量凄そうだもんね。部活中とか、よく目に入った。活動場所、小講義室だから」

 意図的に見ていたことがバレないよう、慌てて「部活中」を強調するように付け足したけれど、言い訳じみていたかもしれない。もっと冷静にならなければ。まったく。これだから恋というやつは……。


< 8 / 56 >

この作品をシェア

pagetop