うましか

 でも彼は特に気にする様子もなく、一番後ろの自分の席に向かって、持っていたプリントを鞄に突っ込むと「何部?」と会話を続けてくれた。

「文芸部」
 わたしも彼の姿を追って、一番前の自分の席から振り向きながら答える。

「……ごめん、何する部?」
「読書したり、文章書いたり、かな」
「へえ、いいね」
「うん」
「読書は俺も好きだけど、練習とチャリ通がきつくて、この半年で一冊も読めなくて、それで……」

 呟くように言いながら、彼は突然はっとして言葉を切り、鞄を肩にかけた。

「じゃあ、帰る」

 それは、特に親しくもないただのクラスメイトに退部のきっかけを話すなんて何やってんだ、と自分の言動に呆れているような態度だった。

 わたしもそれに気付いたから「うん、じゃあね」とだけ返して笑顔を作り、彼の大きな背中を見送る。

 今はこれで充分だ。むしろ充分すぎる。同じクラスになって半年。クラスメイトとしての最低限の会話しかしていなかった彼と、初めて私的な会話ができたのだから。


 廊下を歩く足音が遠ざかって、やがて吹奏楽部の合奏の音しか聞こえなくなった頃。見送ったときの笑顔のままだったわたしは、静かに本を閉じ、スペースの空いた机に顔を埋めた。ずっと同じ表情をしていたせいで頬が凝り固まって痛い。机に付けた額に、やけに速い鼓動が響いてうるさい。まったく。これだから、恋というやつは……。


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