あなたが好き
⑤
翌日、彩花は暗い表情で会社の部署のドアを開けた。
彩花が部屋に入ると、室内は異常なざわめきに包まれている。
彩花が自分の席に着くと、同僚が小声で言ってきた
「おはよう。メール見た?」
彩花は同僚に急かされて、メールを開いた。
送受信ボタンを押すと、社内の仕事のメールに混じって「連絡事項」という件名のメールがフリーメールから届いている。
「これこれ!」と同僚に指さされた彩花は、メールに添付されている写真をクリックした。
写真を開くと、月子と森川が抱き合っている写真が飛び込んできた。
「会社のみんなにこのメールが届いたみたい。さっき、社長がすごい顔して部長と課長を呼びに来たの。あの二人が不倫してたなんて、信じられない」
同僚は悲しそうな表情で俯いてしまった。
彩花はもう一度、「連絡事項」という件名のメールを見た。
メールには3枚写真が添付されていて、どれも月子と森川の密会写真だ。
(――信じられない)
彩花は同僚が自分から離れた隙に、昨日作成したフリーメールのサイトにログインしてみた。
そして、昨日作ったメールを確認してみる。
昨日作ったメールは「未送信」のフォルダに入ったままだ。
彩花は昨日、月子と森川の密会写真のメールを送らなかった。
そんなことをしても、惨めになるだけだと思ったからだ。
でも、どこかの誰かが彩花の代わりのように月子と森川の密会写真、――どこかの公園で二人が抱き合っている写真――を社内中の人間に送りつけたのだ。
(――このメール、一体誰が送ったの?)
彩花は写真の中の幸せそうな月子と森川を見つめながら思った。
月子と森川の密会写真が送られてから一ヶ月程、彩花は今までにない忙しい日々を過ごした。
メールが送られた日、社長に呼びだされた月子と森川がどうなったのか彩花にはわからない。
少なくとも、あの日を境に月子も森川も会社に来なくなったし、役職についている人間は誰も月子と森川の名前を口にしなくなった。
部署に残された人間は存在しないことになった月子と森川の仕事の穴埋めに右往左往することになった。
彩花も穴埋めのために必死になって働いた。月子と森川が本当に優秀な人間だったと言うことを思い知った。
でも、幸い彩花は忙しさのおかげで、二人への想いを薄れさせることが出来たのだ。
忙しい中で、誰かが月子は離婚して森川と一緒にどこかへ行った、ということを言っていたような気がする。
美咲はあのメールが届いた日から会社に来ていない。寿退社までまだ日があったはずだ。彩花は美咲に少しだけ同情をした。
忙しい日々も一ヶ月が過ぎる頃には、かなり落ち着いて来た。
気付けば、毎月一日恒例の倉庫整理の日がやって来た。
彩花は倉庫のスペアキーを取り出しながら、月子と森川を思い出した。
月子は屋上で森川に「旦那も仕事も何もかも捨ててもいいから」と言っていた。
月子は自分で言った通り、旦那も仕事も何もかも捨てて森川を手に入れたのだ。
彩花は森川を考えるとまだ胸の奥に痛みを感じるが、自分が月子と同じ立場だとして、何もかも捨てて森川を選んだだろうかと考えた。
(――私には出来ないな)
彩花はため息をつくと、倉庫へ向かった。
倉庫に入るのは、月子と森川が屋上で密会しているところを目撃した日以来だった。
さすがにあの密会現場を見てから、例のスペアキーを使って屋上には行かなくなってしまった。
倉庫に入って、書類を置こうとした彩花は、隅の机に何かが置いてあることに気付いた。
(――マニキュア? 誰がこんなところに)
彩花はそのマニキュアを手に取ってはっとした。それはマニキュアの形をしたUSBメモリーだった。
「かわいいでしょ? それ」と言った月子の言葉を思い出す。
どうして、こんなところに月子のUSBメモリーがあるのだろう、USBメモリーは月子に返したはずだ。
彩花は何か身震いするものを感じた。
彩花は倉庫の隅に放置されているパソコンの電源を入れて、USBメモリーを差し込んだ。
パスワードである森川の誕生日『0129』を入力する。
中には「連絡事項」という名前のフォルダが一つだけ入っている。
彩花はそのフォルダをクリックした。
フォルダの中には写真が何枚か入っていた。
忘れもしない、あの「連絡事項」という件名で送られてきたメールに添付されていた月子と森川の密会写真だった。
でも、あのメールに添付されていた写真は3枚だけだったのに、フォルダの中には同じような写真が何枚も入っている。
まるで何枚もある写真の中から、あの3枚だけ選んでメールに添付したかのようだ。
(――そうだったんだ)
あの月子と森川の密会写真を送った「誰か」の正体は、月子だったのだ。
写真は多分、興信所かどこかに撮らせたものだろう。
もちろん「旦那も仕事も何もかも捨ててもいいから」森川と一緒になりたいという願いを叶えるために、月子が撮らせたのだ。
でも、一つだけわからないことがある。
月子はどうして彩花にバレるとわかっていながら、USBメモリーを倉庫に残して行ったのだろうか。
彩花は考えながら、月子と森川の密会写真を眺めた。
写真は同じように見えて、一枚一枚表情やアングルの位置が微妙に違っている。
彩花はふと、一枚の写真に目を止めた。
写真の中の月子は、まるでカメラを見て微笑んでいるかのようにも見える。
彩花には写真の中の月子が、勝ち誇って微笑んでいるかのように見えた。
そう、彩花に対する優しささえも、自分が勝つためや森川を手に入れるための手段だったんだと言いながら、微笑んでいるかのように見えた。
【完】
彩花が部屋に入ると、室内は異常なざわめきに包まれている。
彩花が自分の席に着くと、同僚が小声で言ってきた
「おはよう。メール見た?」
彩花は同僚に急かされて、メールを開いた。
送受信ボタンを押すと、社内の仕事のメールに混じって「連絡事項」という件名のメールがフリーメールから届いている。
「これこれ!」と同僚に指さされた彩花は、メールに添付されている写真をクリックした。
写真を開くと、月子と森川が抱き合っている写真が飛び込んできた。
「会社のみんなにこのメールが届いたみたい。さっき、社長がすごい顔して部長と課長を呼びに来たの。あの二人が不倫してたなんて、信じられない」
同僚は悲しそうな表情で俯いてしまった。
彩花はもう一度、「連絡事項」という件名のメールを見た。
メールには3枚写真が添付されていて、どれも月子と森川の密会写真だ。
(――信じられない)
彩花は同僚が自分から離れた隙に、昨日作成したフリーメールのサイトにログインしてみた。
そして、昨日作ったメールを確認してみる。
昨日作ったメールは「未送信」のフォルダに入ったままだ。
彩花は昨日、月子と森川の密会写真のメールを送らなかった。
そんなことをしても、惨めになるだけだと思ったからだ。
でも、どこかの誰かが彩花の代わりのように月子と森川の密会写真、――どこかの公園で二人が抱き合っている写真――を社内中の人間に送りつけたのだ。
(――このメール、一体誰が送ったの?)
彩花は写真の中の幸せそうな月子と森川を見つめながら思った。
月子と森川の密会写真が送られてから一ヶ月程、彩花は今までにない忙しい日々を過ごした。
メールが送られた日、社長に呼びだされた月子と森川がどうなったのか彩花にはわからない。
少なくとも、あの日を境に月子も森川も会社に来なくなったし、役職についている人間は誰も月子と森川の名前を口にしなくなった。
部署に残された人間は存在しないことになった月子と森川の仕事の穴埋めに右往左往することになった。
彩花も穴埋めのために必死になって働いた。月子と森川が本当に優秀な人間だったと言うことを思い知った。
でも、幸い彩花は忙しさのおかげで、二人への想いを薄れさせることが出来たのだ。
忙しい中で、誰かが月子は離婚して森川と一緒にどこかへ行った、ということを言っていたような気がする。
美咲はあのメールが届いた日から会社に来ていない。寿退社までまだ日があったはずだ。彩花は美咲に少しだけ同情をした。
忙しい日々も一ヶ月が過ぎる頃には、かなり落ち着いて来た。
気付けば、毎月一日恒例の倉庫整理の日がやって来た。
彩花は倉庫のスペアキーを取り出しながら、月子と森川を思い出した。
月子は屋上で森川に「旦那も仕事も何もかも捨ててもいいから」と言っていた。
月子は自分で言った通り、旦那も仕事も何もかも捨てて森川を手に入れたのだ。
彩花は森川を考えるとまだ胸の奥に痛みを感じるが、自分が月子と同じ立場だとして、何もかも捨てて森川を選んだだろうかと考えた。
(――私には出来ないな)
彩花はため息をつくと、倉庫へ向かった。
倉庫に入るのは、月子と森川が屋上で密会しているところを目撃した日以来だった。
さすがにあの密会現場を見てから、例のスペアキーを使って屋上には行かなくなってしまった。
倉庫に入って、書類を置こうとした彩花は、隅の机に何かが置いてあることに気付いた。
(――マニキュア? 誰がこんなところに)
彩花はそのマニキュアを手に取ってはっとした。それはマニキュアの形をしたUSBメモリーだった。
「かわいいでしょ? それ」と言った月子の言葉を思い出す。
どうして、こんなところに月子のUSBメモリーがあるのだろう、USBメモリーは月子に返したはずだ。
彩花は何か身震いするものを感じた。
彩花は倉庫の隅に放置されているパソコンの電源を入れて、USBメモリーを差し込んだ。
パスワードである森川の誕生日『0129』を入力する。
中には「連絡事項」という名前のフォルダが一つだけ入っている。
彩花はそのフォルダをクリックした。
フォルダの中には写真が何枚か入っていた。
忘れもしない、あの「連絡事項」という件名で送られてきたメールに添付されていた月子と森川の密会写真だった。
でも、あのメールに添付されていた写真は3枚だけだったのに、フォルダの中には同じような写真が何枚も入っている。
まるで何枚もある写真の中から、あの3枚だけ選んでメールに添付したかのようだ。
(――そうだったんだ)
あの月子と森川の密会写真を送った「誰か」の正体は、月子だったのだ。
写真は多分、興信所かどこかに撮らせたものだろう。
もちろん「旦那も仕事も何もかも捨ててもいいから」森川と一緒になりたいという願いを叶えるために、月子が撮らせたのだ。
でも、一つだけわからないことがある。
月子はどうして彩花にバレるとわかっていながら、USBメモリーを倉庫に残して行ったのだろうか。
彩花は考えながら、月子と森川の密会写真を眺めた。
写真は同じように見えて、一枚一枚表情やアングルの位置が微妙に違っている。
彩花はふと、一枚の写真に目を止めた。
写真の中の月子は、まるでカメラを見て微笑んでいるかのようにも見える。
彩花には写真の中の月子が、勝ち誇って微笑んでいるかのように見えた。
そう、彩花に対する優しささえも、自分が勝つためや森川を手に入れるための手段だったんだと言いながら、微笑んでいるかのように見えた。
【完】