きんいろ
☆
翌々日、美術室に行くと、佐倉先輩がカンバスの前にいて、下塗りの上に淡いグリーンを置いていた。
美術室に行けば、きっと佐倉先輩に会えるだろう──と思っていた。佐倉先輩は、現役部員よりも熱心に夏休みの美術室に通っているようだったから。そうして、佐倉先輩とふたりっきりになれるといいな、とこっそり願った通り、美術室には佐倉先輩しか描いていなかった。
「一昨日は、すみませんでした」
おはようございます、のあと、続けて佐倉先輩にそう言うと、先輩は、きょとんと目を大きくしたけれど、すぐにその目を優しく細め、どういたしまして、と笑った。
「ちゃんと友達に会えた?」
「はい。……実は、ひょっとしてデートの邪魔をしちゃったんじゃないかなーって、気になってたんです」
飛び出そうな心臓を制服のシャツの上からそっと押さえ、私は無邪気な後輩のお面をかぶる。
「デート? 三人で?」
会話の流れを遮らない滑らかさで、佐倉先輩は朗らかに聞き返してきた。けれど、優しい瞳をよぎった翳りを私は見逃さなかった。
「私たち三人、友達──って言うか、腐れ縁なの。信じられる? 中学高校の六年間で五回、一緒のクラスなんだよ?」
「えー、ホントですか?」
先輩のはしゃいだ声に会わせて、私も声のトーンを上げた。──ずっと、ですか? 三人、で?
「中学校はずっと一緒のクラスだった。二クラスしかない小さな中学校だから、それはそんなに珍しくはないんだけどね。高校で、一年のときクラスが分かれたけど、二年三年はまた三人で同じクラスになって。ね、腐れ縁でしょ?」
はしゃいだ声だった。──いつもの先輩らしくない、浮いた明るさ。
私は、すごーいホントに縁があるんですね、なんて調子を合わせていたけれど。
ふっと空しくなってしまった。先輩も、私も、無理をしているような気がして。
「藤枝先輩って、親切ですね」
つくり笑いのはがれ落ちた唇から、ぽろり、とその人の名前が転がり出た。私は、佐倉先輩と、その人のことを話したかった。その人の話を聞きたかった。どんなことでもいいから。
佐倉先輩は驚いた顔をした。やがて浮かべた微笑みは、とても苦くて。
「そう、とても親切なの、彼。優しいんじゃなくて、親切。──子どもみたい」
唇から出た声も苦くて、そのくせ、どこかがどうしようもなく甘くて。
私は言葉を返せなかった。突然部屋中にあふれてしまった、先輩の想いを受け止められずに。
わかっていた、本当は。雨の日の美術室に現れたあの人が佐倉先輩の名前を呼んで、その少しかすれた声に応じて佐倉先輩が燕のようにひらりと立ち上がったときから。
この人は、あの人が、好きなんだ。
翌々日、美術室に行くと、佐倉先輩がカンバスの前にいて、下塗りの上に淡いグリーンを置いていた。
美術室に行けば、きっと佐倉先輩に会えるだろう──と思っていた。佐倉先輩は、現役部員よりも熱心に夏休みの美術室に通っているようだったから。そうして、佐倉先輩とふたりっきりになれるといいな、とこっそり願った通り、美術室には佐倉先輩しか描いていなかった。
「一昨日は、すみませんでした」
おはようございます、のあと、続けて佐倉先輩にそう言うと、先輩は、きょとんと目を大きくしたけれど、すぐにその目を優しく細め、どういたしまして、と笑った。
「ちゃんと友達に会えた?」
「はい。……実は、ひょっとしてデートの邪魔をしちゃったんじゃないかなーって、気になってたんです」
飛び出そうな心臓を制服のシャツの上からそっと押さえ、私は無邪気な後輩のお面をかぶる。
「デート? 三人で?」
会話の流れを遮らない滑らかさで、佐倉先輩は朗らかに聞き返してきた。けれど、優しい瞳をよぎった翳りを私は見逃さなかった。
「私たち三人、友達──って言うか、腐れ縁なの。信じられる? 中学高校の六年間で五回、一緒のクラスなんだよ?」
「えー、ホントですか?」
先輩のはしゃいだ声に会わせて、私も声のトーンを上げた。──ずっと、ですか? 三人、で?
「中学校はずっと一緒のクラスだった。二クラスしかない小さな中学校だから、それはそんなに珍しくはないんだけどね。高校で、一年のときクラスが分かれたけど、二年三年はまた三人で同じクラスになって。ね、腐れ縁でしょ?」
はしゃいだ声だった。──いつもの先輩らしくない、浮いた明るさ。
私は、すごーいホントに縁があるんですね、なんて調子を合わせていたけれど。
ふっと空しくなってしまった。先輩も、私も、無理をしているような気がして。
「藤枝先輩って、親切ですね」
つくり笑いのはがれ落ちた唇から、ぽろり、とその人の名前が転がり出た。私は、佐倉先輩と、その人のことを話したかった。その人の話を聞きたかった。どんなことでもいいから。
佐倉先輩は驚いた顔をした。やがて浮かべた微笑みは、とても苦くて。
「そう、とても親切なの、彼。優しいんじゃなくて、親切。──子どもみたい」
唇から出た声も苦くて、そのくせ、どこかがどうしようもなく甘くて。
私は言葉を返せなかった。突然部屋中にあふれてしまった、先輩の想いを受け止められずに。
わかっていた、本当は。雨の日の美術室に現れたあの人が佐倉先輩の名前を呼んで、その少しかすれた声に応じて佐倉先輩が燕のようにひらりと立ち上がったときから。
この人は、あの人が、好きなんだ。