きんいろ
☆
「大石くん」
駐輪場で声をかけた相手は、同じクラスのサッカー部員だ。一緒にいた他のサッカー部員五、六人も、一斉に私と愛ちゃんをふり向く。
愛ちゃんは、私につきあって、拓南がグラウンドに戻ってくるのを待っていてくれたのだ。でも、拓南を背負っていったコーチは、なかなか帰ってこなかった。さっきやっと帰ってきたときは、コーチはひとりだけで。
拓南は? 救急箱では処置できなくて、コーチと病院に行ったのだとは想像がついていた。治療が終わったら、拓南はコーチと一緒に学校に帰ってくるんじゃないの? なぜコーチはひとりで戻ってきたの? 拓南は、まさか……。
コーチは監督と何か話して、頷いた監督はグラウンド整備を終えた部員たちを集めて何か話して……。
何を話されたのか知りたくて、私は帰宅するサッカー部員たちを駐輪場で待っていたのだ。
駐輪場の横でも金木犀がオレンジの花を咲かせていた。風に甘い匂いが混じる。名前を呼んで駆け寄った私に、大石くんは尋ねる前に答えをくれた。
「拓南さ、コーチが車で家に送ったって」
あ、なんだ、そうだったの? ──気が抜けて、地面にへたり込みそうになる。
じゃあ、ここで心配しながら待っていること、全然なかったんだ。治療を終えたら、拓南はいったんグラウンドに戻ってくると思い込んで、ずっとじりじり待っていたのだ。スマホにも拓南からの連絡は入らないし……。
戻ってきたのがコーチひとりだけなのを見たときは、入院、の文字さえ頭に浮かんだのに。
「木暮さん、俺ら、荷物を届けがてら、あいつの様子を見に行くところだから。一緒に行こう」
「私、歩きだから……」
「拓南のウチ──ていうか、木暮さんち? 近いじゃん? いいよ、俺らも歩けば」
「私もお見舞いしていい?」
愛ちゃんがそう言ってくれた。
「コーチ、何て言ってた? ケガ、悪いの?」
サッカー部の子たちは自転車をひいて、みんなで歩きながら、会話する。
「膝の靭帯をやっちゃった、って言ってたから、あんまりいいとは……」
「でも、切ったとかじゃねーんだろ? 痛めた程度? でも、まだ一年だし、ここで無理して本格的に悪くするとまずいから、しばらくは大人しくしてろって……そーいうカンジじゃね?」
「けど、三週間走れない、って言ってたじゃん。予選はトーゼン無理だし?」
「いやいや、あいつ、体だきゃ丈夫だから。意外と何とかなるんじゃないかと」
「おまえ気楽に言うけどさ、あいつ結構ショック受けてんじゃないかと思うよ、俺は」
そう言ったのは隅田くんで、ふり向いた視線に私を捉え、
「励ましてやってよ、木暮さん」
いつものはにかむような笑顔を浮かべた。
私は、うん、でも、いいえ、でもない笑みを返す。
拓南は、隅田くんが私のことを好きだ、と言っていた。そのことを意識すると、私は隅田くんにどんな態度をとればいいのかわからなくなる。けれど、隅田くんの私に対する距離感は以前と少しも変わらなくて、拓南に聞いた話は夢だったような気すらする。
変わらない隅田くんは、とても優しい人なのかもしれない。優しさに甘えたいような気持ちが生まれたあと、甘えては申し訳ないと思う。でも、そう思うはしから、申し訳なく思うより感謝して甘えてしまった方がいいような気もして、私は曖昧な笑みしか浮かべられない。
拓南は部屋でオンラインの格闘ゲームをしていた。家に帰ったならそう連絡してよ、と文句を言うと、チームメイトが届けてくれた荷物の中からスマホを取りだして私に見せ、笑った。……ああ、そうか、スマホを持つヒマもなく病院に行ったんだよね。
そして、
「大丈夫か」
と、やや遠慮がちに尋ねるチームメイトにも明るく笑う。
「しゃあねえよ。ケガしたのは自分のミスなんだし。──せっかく来たんだから、あがってかね? 俺んちじゃねーけど」
みんな、あがっていくことになった。ジャンケンで負けた大石くんが近所のコンビニに飲み物とお菓子を買いに行って、愛ちゃんも私も一緒に、拓南の部屋でゲームとおしゃべりで盛り上がった。
やがて窓の外の青さが薄れていき、
「私そろそろ帰るね」
と、愛ちゃんが立ち上がる。
「じゃあ、私も」
愛ちゃんを玄関でお見送りしたあと、私は自分の部屋に戻った。拓南の部屋からは暗くなるまでウルサイくらいの笑い声が聞こえていた。とても楽しそうだった。
だけど、その夜。
ふと、目が覚めた。静かだった。耳を澄ますと、拓南の部屋からサッカー部の男の子たちの笑い声が時間を越えて聞こえてきそうなくらいに、静か。
時計を見ると午前一時を回っていた。
すぐ目を閉じたけど、なんだか眠れず、水でも飲もうと部屋を出た。
私の部屋と、拓南が使っている部屋は、階段をはさんで向かい合わせにある。階段を間にして対称な、双子みたいなつくりの部屋。鍵はついているけれど、あまり使ったことはない。
拓南がいる部屋は、もとは、納戸として使われていた。私の部屋と同じ、南に大きく窓があってつくりつけの棚もあって、あまり物が置かれていない変な納戸だった。なぜ私の部屋の向かいにおそろいの部屋があって納戸になってしまっているのか、お母さんに理由を聞いたのは、小六のときだった。
足音を忍ばせたのは、拓南は疲れて眠っているだろうから、物音をたてて起こしたりしないため。でも、キッチンへと階段を下りる前、私は拓南の部屋の前で足を止めた。そっとドアに触れると、伝わった。拓南の、寝つかれずにいる気配が。
「大石くん」
駐輪場で声をかけた相手は、同じクラスのサッカー部員だ。一緒にいた他のサッカー部員五、六人も、一斉に私と愛ちゃんをふり向く。
愛ちゃんは、私につきあって、拓南がグラウンドに戻ってくるのを待っていてくれたのだ。でも、拓南を背負っていったコーチは、なかなか帰ってこなかった。さっきやっと帰ってきたときは、コーチはひとりだけで。
拓南は? 救急箱では処置できなくて、コーチと病院に行ったのだとは想像がついていた。治療が終わったら、拓南はコーチと一緒に学校に帰ってくるんじゃないの? なぜコーチはひとりで戻ってきたの? 拓南は、まさか……。
コーチは監督と何か話して、頷いた監督はグラウンド整備を終えた部員たちを集めて何か話して……。
何を話されたのか知りたくて、私は帰宅するサッカー部員たちを駐輪場で待っていたのだ。
駐輪場の横でも金木犀がオレンジの花を咲かせていた。風に甘い匂いが混じる。名前を呼んで駆け寄った私に、大石くんは尋ねる前に答えをくれた。
「拓南さ、コーチが車で家に送ったって」
あ、なんだ、そうだったの? ──気が抜けて、地面にへたり込みそうになる。
じゃあ、ここで心配しながら待っていること、全然なかったんだ。治療を終えたら、拓南はいったんグラウンドに戻ってくると思い込んで、ずっとじりじり待っていたのだ。スマホにも拓南からの連絡は入らないし……。
戻ってきたのがコーチひとりだけなのを見たときは、入院、の文字さえ頭に浮かんだのに。
「木暮さん、俺ら、荷物を届けがてら、あいつの様子を見に行くところだから。一緒に行こう」
「私、歩きだから……」
「拓南のウチ──ていうか、木暮さんち? 近いじゃん? いいよ、俺らも歩けば」
「私もお見舞いしていい?」
愛ちゃんがそう言ってくれた。
「コーチ、何て言ってた? ケガ、悪いの?」
サッカー部の子たちは自転車をひいて、みんなで歩きながら、会話する。
「膝の靭帯をやっちゃった、って言ってたから、あんまりいいとは……」
「でも、切ったとかじゃねーんだろ? 痛めた程度? でも、まだ一年だし、ここで無理して本格的に悪くするとまずいから、しばらくは大人しくしてろって……そーいうカンジじゃね?」
「けど、三週間走れない、って言ってたじゃん。予選はトーゼン無理だし?」
「いやいや、あいつ、体だきゃ丈夫だから。意外と何とかなるんじゃないかと」
「おまえ気楽に言うけどさ、あいつ結構ショック受けてんじゃないかと思うよ、俺は」
そう言ったのは隅田くんで、ふり向いた視線に私を捉え、
「励ましてやってよ、木暮さん」
いつものはにかむような笑顔を浮かべた。
私は、うん、でも、いいえ、でもない笑みを返す。
拓南は、隅田くんが私のことを好きだ、と言っていた。そのことを意識すると、私は隅田くんにどんな態度をとればいいのかわからなくなる。けれど、隅田くんの私に対する距離感は以前と少しも変わらなくて、拓南に聞いた話は夢だったような気すらする。
変わらない隅田くんは、とても優しい人なのかもしれない。優しさに甘えたいような気持ちが生まれたあと、甘えては申し訳ないと思う。でも、そう思うはしから、申し訳なく思うより感謝して甘えてしまった方がいいような気もして、私は曖昧な笑みしか浮かべられない。
拓南は部屋でオンラインの格闘ゲームをしていた。家に帰ったならそう連絡してよ、と文句を言うと、チームメイトが届けてくれた荷物の中からスマホを取りだして私に見せ、笑った。……ああ、そうか、スマホを持つヒマもなく病院に行ったんだよね。
そして、
「大丈夫か」
と、やや遠慮がちに尋ねるチームメイトにも明るく笑う。
「しゃあねえよ。ケガしたのは自分のミスなんだし。──せっかく来たんだから、あがってかね? 俺んちじゃねーけど」
みんな、あがっていくことになった。ジャンケンで負けた大石くんが近所のコンビニに飲み物とお菓子を買いに行って、愛ちゃんも私も一緒に、拓南の部屋でゲームとおしゃべりで盛り上がった。
やがて窓の外の青さが薄れていき、
「私そろそろ帰るね」
と、愛ちゃんが立ち上がる。
「じゃあ、私も」
愛ちゃんを玄関でお見送りしたあと、私は自分の部屋に戻った。拓南の部屋からは暗くなるまでウルサイくらいの笑い声が聞こえていた。とても楽しそうだった。
だけど、その夜。
ふと、目が覚めた。静かだった。耳を澄ますと、拓南の部屋からサッカー部の男の子たちの笑い声が時間を越えて聞こえてきそうなくらいに、静か。
時計を見ると午前一時を回っていた。
すぐ目を閉じたけど、なんだか眠れず、水でも飲もうと部屋を出た。
私の部屋と、拓南が使っている部屋は、階段をはさんで向かい合わせにある。階段を間にして対称な、双子みたいなつくりの部屋。鍵はついているけれど、あまり使ったことはない。
拓南がいる部屋は、もとは、納戸として使われていた。私の部屋と同じ、南に大きく窓があってつくりつけの棚もあって、あまり物が置かれていない変な納戸だった。なぜ私の部屋の向かいにおそろいの部屋があって納戸になってしまっているのか、お母さんに理由を聞いたのは、小六のときだった。
足音を忍ばせたのは、拓南は疲れて眠っているだろうから、物音をたてて起こしたりしないため。でも、キッチンへと階段を下りる前、私は拓南の部屋の前で足を止めた。そっとドアに触れると、伝わった。拓南の、寝つかれずにいる気配が。