きんいろ
☆
球技大会二日目、私たち一年二組の女バレチームは、決勝まで進んだけれど、そこで敗れてしまった。
「惜しかったねー」
「相手チームさ、中学のときバレー部だったコがふたりいたみたい」
「ああっ、それであのマジなスパイク? それは勝てないー」
「いやいや、元バレー部相手に1セットとったとか、私たち、すごくない?」
ひとしきりみんなで準優勝を残念がったり喜んだりしたあとは、ばらばらになった。クラスで勝ち残っているチームはもうなくなっていたので、他のクラスの友達の応援とか、好きな競技の見物とか、暑いから涼しい木陰でのんびりおしゃべりしようとか……。
他のクラスメイトと別れると、柊子が私の体操着の裾をこそっと引っ張った。
「美雨、いいかな、昨日の……アレ」
頬が赤い。というか、真っ赤だ。
「あ、うん、いいよ」
私の顔も熱くなる。
昨日のアレ、というのは──昨日、練習に使ったバレーボールを体育倉庫に返しに行ったときのこと。ふたりきりの体育倉庫で、柊子は今と同じように顔を赤くして、好きな人がいるんだ、と私に告白したのだ。
相手は元男バスの三年生で、名前は川崎正臣さん。
『男バスと女バスは、いつも体育館の隣のコートで練習してるじゃん? なんとなく男子の練習に目がいくことも、あるじゃん? 川崎さんって、バスケ部の中でも背が高くて、ドリブルとかうまくて、目が引かれたんだよね。でも、かっこいいなー、とか、私もあんなプレイしたいなー、とか、その、いわゆる、憧れの先輩のつもりだったんだけどさ……』
インターハイが終わって三年生が引退し、川崎さんのいないコートを見たとき、柊子は体育館でひとりぼっちになったようなさみしさを感じたのだそうだ。──川崎さんがいないと、私、さみしい。川崎さんに会いたい。
『でさ……川崎さん、球技大会、軟式テニスに出てるんだけど……勝ち進んで、明日、決勝戦なんだって……始まる時間がちょうど女バレの決勝のあとだから、応援、ついてきてくれない?』
一生懸命にそう言われて、こくこくと頷いていた。
それが昨日のこと。そして、今、私は自分のことのようにどきどきしながら、柊子と並んでグラウンドの隅をテニスコートへと向かっている。
どんな人だろう。バスケ部の中でも背が高くて……柊子はメン喰いだから、きっと顔もよくてカッコイイ人だね──なんて『川崎さん』のことをあれこれ想像しながら。
テニスコートに着くと、柊子は根性でギャラリーをかきわけ、コートを囲む金網のフェンスにへばりついた。私は柊子のつくった隙間を縫うように辿って、柊子の横に並んだのだけど。
「……何か、女の子、多いね」
かなり強引に最前列に割り込んだ私たちは、周囲から冷たい視線を向けられている。視線の主は、ほとんどが女の子だ。しかも、上級生っぽい人が多い。私は肩をすぼめて小さくなっていたのだけれど、柊子は先輩女子たちの視線をものともせず、まだ無人のコートから目を離さずに囁き返してきた。
「川崎さんと藤枝さんのペアが出る試合だからね」
「川崎さんと……?」
柊子の好きな人が『川崎さん』で、ペアを組むのが……。
「美雨はそういうのにあまり関心がないから知らないかもだけど、そのふたり、女子に人気なんだよね。ふたりとも元男バスで、仲良くて、よく一緒にいるんだ」
へえ、そうなんだ。女子に人気のひとたちなんだ。
うん、知らなかった。でも、がんばって柊子のあとについて最前列をとったかいはあった気がしてきた。男子は少し苦手だけれど、そんなにカッコイイふたりならちょっと近くで見てみたいくらいの関心はある。
不意に、柊子が私の腕をつかんだ。
「──あの人。向かって右のコート。髪の毛、短くて、茶色の方……」
コートに、決勝を戦う選手たちが現れていた。右のコートのペアは、ふたりとも背が高い。ひとりは見るからにオシャレな茶色い短髪で、その人が柊子の好きな川崎さん。
知っている人だった。名前も、どんな人かも知らなかったけれど、何度も見かけたことがあった。──あの人の隣に。今も、ラケットを手に談笑している、あの人と。
あの人は長めの髪をヘアバンドで押さえていた。着ているのは体操着ではなくて、クラスでそろえた紫のTシャツと白のハーフパンツ。
「藤枝さんのヘアバンドも久しぶりー。するとしないでイメージ変わるところがいいんだよね」
柊子の言葉に、私は思わず心の中で頷いていた。前髪を下ろした制服姿は落ち着いた雰囲気だったけれど、おでこを出したTシャツ姿はとても快活な感じがする。
藤枝さん……藤枝さん、って名前なんだ。じゃあ、しの、と呼ばれていたのは?
柊子に聞きたかったけど、柊子はもうコートの中に夢中だった。練習の打ち合いが終わり、試合が始まった。柊子と一緒に応援したはずなのに、どんな試合だったのか、よく覚えていない。ナイスプレイが出たときの、その人の楽しそうな笑顔だけ、記憶にある。私にくれた笑顔じゃないのに、そんなことはわかっているのに、どきどきした。
そして、その人のパッシングがオンラインにきれいに決まって。
「やった!」
隣で柊子がガッツポーズして、ハッとした。その人はラケットを下げて川崎さんとグータッチしてから、コートの中央に歩いていく。ネットをはさんで対戦相手と握手した。
微笑みがゆっくりと口許にのぼった。勝ったんだあ。
柊子も周りのみんなも拍手していて、私も急いで拍手した。
その拍手が聞こえたみたいに、あの人が私のいる方へ顔を向けた。
どきっ、とした。目が合うんじゃないかと思った。
けれど、フェンスの内側で応援していたクラスメイトたちが歓声をあげて、たちまちふたりを取り囲んだ。クラスメイトが壁のようになって、あの人の視線を遮った。
そのクラスメイトの中に、美術部の佐倉先輩がいた。いつもの少しはかなげな笑顔で、あの人と川崎さんにタオルを渡していた。人と人のすき間から覗いたのは、笑って佐倉先輩に話しかけるその人の横顔──。
心に棘が突き刺さったような気がした。小さいけれど、鋭い棘。
棘の痛さにコートから目を逸らすと、すぐそばで、柊子の指が金網に切なそうにからんでいた。
球技大会二日目、私たち一年二組の女バレチームは、決勝まで進んだけれど、そこで敗れてしまった。
「惜しかったねー」
「相手チームさ、中学のときバレー部だったコがふたりいたみたい」
「ああっ、それであのマジなスパイク? それは勝てないー」
「いやいや、元バレー部相手に1セットとったとか、私たち、すごくない?」
ひとしきりみんなで準優勝を残念がったり喜んだりしたあとは、ばらばらになった。クラスで勝ち残っているチームはもうなくなっていたので、他のクラスの友達の応援とか、好きな競技の見物とか、暑いから涼しい木陰でのんびりおしゃべりしようとか……。
他のクラスメイトと別れると、柊子が私の体操着の裾をこそっと引っ張った。
「美雨、いいかな、昨日の……アレ」
頬が赤い。というか、真っ赤だ。
「あ、うん、いいよ」
私の顔も熱くなる。
昨日のアレ、というのは──昨日、練習に使ったバレーボールを体育倉庫に返しに行ったときのこと。ふたりきりの体育倉庫で、柊子は今と同じように顔を赤くして、好きな人がいるんだ、と私に告白したのだ。
相手は元男バスの三年生で、名前は川崎正臣さん。
『男バスと女バスは、いつも体育館の隣のコートで練習してるじゃん? なんとなく男子の練習に目がいくことも、あるじゃん? 川崎さんって、バスケ部の中でも背が高くて、ドリブルとかうまくて、目が引かれたんだよね。でも、かっこいいなー、とか、私もあんなプレイしたいなー、とか、その、いわゆる、憧れの先輩のつもりだったんだけどさ……』
インターハイが終わって三年生が引退し、川崎さんのいないコートを見たとき、柊子は体育館でひとりぼっちになったようなさみしさを感じたのだそうだ。──川崎さんがいないと、私、さみしい。川崎さんに会いたい。
『でさ……川崎さん、球技大会、軟式テニスに出てるんだけど……勝ち進んで、明日、決勝戦なんだって……始まる時間がちょうど女バレの決勝のあとだから、応援、ついてきてくれない?』
一生懸命にそう言われて、こくこくと頷いていた。
それが昨日のこと。そして、今、私は自分のことのようにどきどきしながら、柊子と並んでグラウンドの隅をテニスコートへと向かっている。
どんな人だろう。バスケ部の中でも背が高くて……柊子はメン喰いだから、きっと顔もよくてカッコイイ人だね──なんて『川崎さん』のことをあれこれ想像しながら。
テニスコートに着くと、柊子は根性でギャラリーをかきわけ、コートを囲む金網のフェンスにへばりついた。私は柊子のつくった隙間を縫うように辿って、柊子の横に並んだのだけど。
「……何か、女の子、多いね」
かなり強引に最前列に割り込んだ私たちは、周囲から冷たい視線を向けられている。視線の主は、ほとんどが女の子だ。しかも、上級生っぽい人が多い。私は肩をすぼめて小さくなっていたのだけれど、柊子は先輩女子たちの視線をものともせず、まだ無人のコートから目を離さずに囁き返してきた。
「川崎さんと藤枝さんのペアが出る試合だからね」
「川崎さんと……?」
柊子の好きな人が『川崎さん』で、ペアを組むのが……。
「美雨はそういうのにあまり関心がないから知らないかもだけど、そのふたり、女子に人気なんだよね。ふたりとも元男バスで、仲良くて、よく一緒にいるんだ」
へえ、そうなんだ。女子に人気のひとたちなんだ。
うん、知らなかった。でも、がんばって柊子のあとについて最前列をとったかいはあった気がしてきた。男子は少し苦手だけれど、そんなにカッコイイふたりならちょっと近くで見てみたいくらいの関心はある。
不意に、柊子が私の腕をつかんだ。
「──あの人。向かって右のコート。髪の毛、短くて、茶色の方……」
コートに、決勝を戦う選手たちが現れていた。右のコートのペアは、ふたりとも背が高い。ひとりは見るからにオシャレな茶色い短髪で、その人が柊子の好きな川崎さん。
知っている人だった。名前も、どんな人かも知らなかったけれど、何度も見かけたことがあった。──あの人の隣に。今も、ラケットを手に談笑している、あの人と。
あの人は長めの髪をヘアバンドで押さえていた。着ているのは体操着ではなくて、クラスでそろえた紫のTシャツと白のハーフパンツ。
「藤枝さんのヘアバンドも久しぶりー。するとしないでイメージ変わるところがいいんだよね」
柊子の言葉に、私は思わず心の中で頷いていた。前髪を下ろした制服姿は落ち着いた雰囲気だったけれど、おでこを出したTシャツ姿はとても快活な感じがする。
藤枝さん……藤枝さん、って名前なんだ。じゃあ、しの、と呼ばれていたのは?
柊子に聞きたかったけど、柊子はもうコートの中に夢中だった。練習の打ち合いが終わり、試合が始まった。柊子と一緒に応援したはずなのに、どんな試合だったのか、よく覚えていない。ナイスプレイが出たときの、その人の楽しそうな笑顔だけ、記憶にある。私にくれた笑顔じゃないのに、そんなことはわかっているのに、どきどきした。
そして、その人のパッシングがオンラインにきれいに決まって。
「やった!」
隣で柊子がガッツポーズして、ハッとした。その人はラケットを下げて川崎さんとグータッチしてから、コートの中央に歩いていく。ネットをはさんで対戦相手と握手した。
微笑みがゆっくりと口許にのぼった。勝ったんだあ。
柊子も周りのみんなも拍手していて、私も急いで拍手した。
その拍手が聞こえたみたいに、あの人が私のいる方へ顔を向けた。
どきっ、とした。目が合うんじゃないかと思った。
けれど、フェンスの内側で応援していたクラスメイトたちが歓声をあげて、たちまちふたりを取り囲んだ。クラスメイトが壁のようになって、あの人の視線を遮った。
そのクラスメイトの中に、美術部の佐倉先輩がいた。いつもの少しはかなげな笑顔で、あの人と川崎さんにタオルを渡していた。人と人のすき間から覗いたのは、笑って佐倉先輩に話しかけるその人の横顔──。
心に棘が突き刺さったような気がした。小さいけれど、鋭い棘。
棘の痛さにコートから目を逸らすと、すぐそばで、柊子の指が金網に切なそうにからんでいた。